ずるくて、こすくて、情けないもの。それが大人の男なのです
解説して欲しい言葉・法則がありましたら憂鬱のKまで、感想もお待ちしています
HOMEへ | 法則1〜10 | 法則11〜20 | 法則21〜30 | 法則31〜40 | 法則41〜50 | |||
最新の法則へ | 法則51〜60 | 法則61〜70 | 法則71〜80 | 旧・大人の♂の法則 |
71.「師走」の法則
72.「年越し」の法則
73.「極悪人」の法則
75.「ペイオフ」の法則
76.「守旧派」の法則
77.「復興」の法則
78.「丸抱え」の法則
79.「定数」の法則
80.「定数削減」の法則
ああ、忙しいと口癖のように呟きながら年末年始の大移動を行う準備に余念がない。早死にしたくて仕様が無いような行動を不思議と思わないのが年の瀬というものである |
師走: 色々なものが走る月を師走と言う。「坊主」や「師」が一年の取立てに忙しく走り回ったことから付けられたとの俗説がある。昔から「坊主」や「師」といった手合いは業が深いので年がら年中走り回っていたというのが俗説論の根拠である。 現在では一般大衆も十分に欲深く罪深いので、それこそ誰も彼もが走り回っている月と言われる。走り回った分確実に疲労は堆積していくが富や価値が堆積するかどうかの確証はない。この一点から「無駄な努力ほど空しいものはない」と勘違いしてはいけない。無駄でない努力は存在しないからであり結果が分かる対応を努力とは言わないからである |
「そば」の枕詞としか見ないのは大きな誤りである。「紅白歌合戦」で年を越してきた20世紀が終わろうとしている。年を越せずに消えていきそうなものがざわめいている今日この頃なのである |
年越し: 宵越しの金は持たないのが江戸っ子である。もちろん年越しの金も持たない。宵越しの金がないのであるから年越しの金が有るわけがない。あるのは借金だけであり賢人は江戸っ子には到底なれない。 借金出来るのは信用があるからで、沢山借金が出来ることが人物の大きさを現しているという「物言い」はバブルが壊れた時に年越し出来ずに空に消えた。男女は能力も待遇も平等である、は機会均等法が施行された時に年越し出来ずに海に消えた。 さて今年はどんなものが年越し出来ずに消えるのだろう。願わくばこのHPは生き残りたいものである |
「越後屋、お主もワルだのう」「いえいえ、お代官様にはとても、とてもかないません」 |
極悪人: 時代劇では越後屋と代官あたりが極悪人ということになる。ただの悪人ではカタルシスが生じないので、極め付けの悪人が必要とされる。時代劇を単なるフィクションとして認識しては間違いであり時代劇は現世の縮図であることに注意しなければならない。 従って極悪人は権力を傘にきて、人の弱みにつけこみ、弱者を虐げ、暴利をむさぼらなければならない。しかし、人間という生物はそれ程強靭な精神を持ち合わせていないために、どうしても手心を加えたり、情けをかけたりしがちである。単なる悪人にしかなれないのが常である。まれにこれらの弱点を持ち合わせない傑物が世に誕生することがあり、戦国時代であればもちろん英雄である。しかし残念ながらこの傑物も現代社会に登場すると商工ローン以外にさしたる働き場がない。 従って砂糖に蟻が群がるように、「権力を傘にきて、人の弱みにつけこみ、弱者を虐げ、暴利をむさぼりたい」傑物が商工ローンに集まってくるのは自明の理であり、食い物にされる方が悪いのである。 時代劇ではないので黄門様も桃太郎侍も登場しない世界では自分の身は自分で守るしかない。このことをことを理解する、それが大人への第一歩である |
「稼いだお金はどうするんです?」「そうだねえ、頑張って全部遣いきりたいねえ。残しておくのはもったいないもの。だから後100年は生きないといけないねえ」 |
余生は正しく生きたい: 百万長者などと言って喜んでいたのは筆者の子どもの頃の話しである。いまや億万長者あたりではさして珍しくもない。それでも一千億を超えるとさすがに一人では遣い切れない。最も持ったことも遣ったこともないので推測の域をでないのだが。 あくどい稼ぎはすぐになくなる、と言われていたがそれは稼いだ量が少ない時の話しであることはかなり前に証明され、その後も続々と証明されつづけている。 「余生」は今後の数十年を意味し、悪人は長生きすることから考えれば極悪人は不死に近いと考えても大きな間違いはない。ここでいう「正しく生きたい」は金をじゃんじゃん遣いたいの意だと推測される。金はだましとるものであるのと同様使わなければ価値を失ってしまうからである。こんな簡単なことに気がつかない程度の頭でも金をだましとることは出来るのであるから悪人は三日やったらやめられない、というのは本当のことだろう |
2001年3月ではダメだ。信組がつぶれる。2002年3月ならいい。それならなんとかなる。 しかし委員長それでは銀行がもちません。それは誰か他の人に考えてもらおうよ |
ペイオフ: 支払いを待ってもらおう、というのは特段変わった考えではない。いつの世も庶民はそうやって生きてきた。時には踏み倒せないかと算段したりもする。それは個人が自分の責任の範囲で考えることであり特段珍しいことではない。但し実行すると時として犯罪という厳しい指弾を受けることがあるので注意する必要がある。 同じことを国家が行う場合に犯罪に問われる可能性が極端に低いのは責任範囲が不明確なことと責任を取れるほどの保証能力のある個人、団体、組織が存在しないことによる。つまりは「やったもの勝ち」なのである。まあ、このHPも「言ったもの勝ち」を標榜しているのであまり強くは言えない。 しかし国際公約だから守らなくてはいけないという論は正しくない。国内公約であっても守らなければならないものは守らなくてはならないのである、とだけは言っておきたい。蛇足ではあるが |
まだ準備が出来ていないんだから、仕様がない。時間が足りないんだから致し方ない。 うーむ、ちと説得力に欠けるかなあ。そんなことしたら大変なことになるぞ。これなら、いいか |
守旧派: 変化を避けるようになると守旧派といわれるようになる?。古いものがいい、昔はよかった。これは懐古趣味の一種で特に害はない。しかし、今がいい、ここがいい。こうなってくると問題が生じることがある。 特に政界、財界といった村社会では弊害が多いと指摘されている。いつの世も改革という言葉は正義であり、保守は唾棄すべきものである、などと考えるようでは世の中のなんたるかを知っていない証左であるが、村社会という閉鎖された世界での価値観を押し頂くのも時代遅れである。 あいつは守旧派だ、というレッテルを貼られるだけで価値がなくなるようなら「いてもいなくても同じ」であると認識しなければならない。世間は厳しいのである。従って軟弱者は村社会から決して出てこようとしないのである。 |
もっと良くならなくちゃ。以前より良くならなくちゃ。昔より良くならなくちゃ。それが復興なんだよ。 はあ、でも以前のままが、、、いいんですが、駄目でしょうか?駄目でしょうね |
復興: 復興、復権、復職、復活と見れば分かるように復の字は元に戻るの意味がある。単に元に戻るのであれば復旧でも構わない、復元でも大きな問題はない。あえて復興と言うところに隠された真意を読み取れないようではもう一度初めから「大人の男の法則」を勉強しなければならない。 戦後復興を考えれば、それは決して戦前に戻ることを意味してはおらず新規に興し直すことであった。同様に神戸復興とは、これを好機に旧態を排除し新体制の確立をはかる意図が隠されている。問題はそれに気づかないことよりも新体制が必ずしも豊かだとは限らないことである。しかし新しいものがある程度歪むのもまた致し方ない。 光り輝く未来に向かおうとすればするほど眩しさに目を開けていられなくなる。従って前に進むにはどうしても勘に頼らざるを得ない、という人間の根本的欠点が存在するからである。 蛇足ではあるが腹筋は筋力が戻ることではなく腹の筋肉であり、バイアグラで青春が戻る場合の復興は正しくない。以前よりも能力が向上することは難しいからであり復旧、復元、復活あたりが妥当と思われる |
いやあ、是非とも抱えさせてもらいたいもんですな。そりゃ、もう丸ごと、頭から尻尾までですよ。あなたさんが、いやだって言ったって、抱えさせてもらいますよ。こっちはそんだけの覚悟でいるんですから。 って一体何の覚悟なんだ |
丸抱え: 置屋が芸者の生活費を全部みることから、資金の全てを負担することに使われる。つまり一銭の金も持たずに他人の懐で事業を成す、物を買う、ビルを建てるといった離れ業が出来ることになる。もちろん丸抱えされる方の話しだが、丸抱えする方にもそれなりのご利益があるので別段心配する必要はない。 得が存在しないところに商売は成り立たないのが世の理であるというのがその根拠だ。しかし近年、例外の多発が報告されているので、持ち出しだけでリターンが無い可能性も否定できない。 その場合は丸損になり、日本国民がトホホな気分になり日本国・官僚の面目は丸潰れとなる。それでも丸裸になるよりはまだマシであると諦めるのが大人の男という人種なのである |
「じょうすう」ってこんな意味だったんだ。「ていすう」とは随分違う。なるほどそれであの国会騒ぎか |
定数: 物理定数は自然界が決めたため、不変であると考えられている。考えられているだけで、根拠は薄い。実際にいくつかの定数は値が変わっている。もちろんより正確にした、といったこともあるのだろうが絶対不変のものではない。ましてや、自分たちに都合のいいように作った定数なら、いくらでも変えることが出来る。自分たち以外にとっては都合が悪い数、ということを考えればいつかは変えられる運命であることが理解できる。 主客逆転は世の理で、いかに強権の持ち主の代議士といえども逆らえない。そもそも主客逆転で変わるような数字を定数と呼ぶことが間違いである。だからと言って「変数」と呼ぶようにしようと提案しても無駄。 「変数削減」では変だし法則も書けないという不都合が生じる。 |
リストラって人減らしのこと? うーん、もともとは再構築することなんだからちょっと意味が違うかもしれないね。でもほんのちょっとの違いだから気にすることもないさ |
定数削減: じょうすうを削減するなら、受け入れざるを得ない。運命なのだから。ていすうを削減するなら恐れることはない。自分たちの都合で決めたのだから。「国民が血を流している時には我々も呑気にしてはいられない。自らリストラし範を示さなければならない」と国会議員が言うのなら、認識不足だ。 それに大した範でもない。彼らは血も流さないし、給料も減らない。再就職の心配もいらない。(もともとが季節労働者なのでその点は強い) じょうすう削減がいつのまにかしょうすう削減と濁点が取れてしまったことはいただけないが、その分「審議なしで成立」という汚点が付いたのでバランスは取れている。 このバランス感覚だけは大人の男として是非身につけておきたい、見習うべし。 |
HOMEへ | 法則1〜10 | 法則11〜20 | 法則21〜30 | 法則31〜40 | 法則41〜50 | |||
最新の法則へ | 法則51〜60 | 法則61〜70 | 法則71〜80 | 旧・大人の♂の法則 |