2004/1/15
『ミスティック・リバー』(デニス・ルヘイン、加賀山卓朗訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)読了。
昨年から読んでいたのだが、年末年始の首痛のせいで(なにせ下、向けないし)、読了が今年に。昨年内に読み終わっていれば、2003年マイベストに間違いなく入れただろう。
ショーン、ジミー、デイブが11歳のある日、警官を装った2人の男の車に乗せられデイヴが連れ去られる。4日後、誰もがデイヴの生還をあきらめた頃、彼は自力で脱出してきた。
それから25年。ジミーの娘ケイティが何者かに惨殺される。
事件の捜査を担当する刑事のショーン。ケイティ殺害の夜に血だらけで帰ってきたデイヴ。そんな夫に怯えるデイブの妻、シレスト。ミスティック・リバーのほとり、彼らの運命が交差する。
とにかくせつない物語だ。
若いせつなさでなく、ビターな苦さ。
この本を読み終えるまでが結構手ごわかったのも、圧倒的な重たさによるところも大きい。めちゃくちゃに落ち込んで帰ってきた時なんて、ちょっと重たすぎて読めないほど。
読んでいて思い出したのが、宮部みゆきの『模倣犯』だった。(国内作品だと『永遠の仔』と比べられるらしいのだが、私は未読なのでよくわからない) 宮部みゆきが『模倣犯』という圧倒的な分量の作品で何を描いたかというと「破壊された日常を生きる人」の姿で、それを描くためにあのブ厚い上下巻が必要だった。
『ミスティック・リバー』に登場する人達も、それぞれ破壊された日常を生きている。
愛する娘を失ったジミー。
妻が家を出てしまったショーン。
11歳の事件の傷をずっと持ったまま生きつづけるデイヴ。
そしてデイヴの隠された暗部に怯える妻・シレスト。
当たり前で少し退屈な(でも幸せな)日常を過ごしている人は誰もいない。
それぞれの思いと苦悩がタペストリーのように織られて、結末に向かっていく。物語がいつも戻ってくるのはデイヴが連れ去れたあの時。
男2人に連れ去れた4日間に何があったか、詳しく語られることはない。ただ、酷い虐待があったことが匂わされるのみ。
ちょっと話はずれるが、ジミーの娘のケイティが殺されたのがはっきり語られるのも、物語が1/3くらい進んでからだ。普通だったら、デイヴ視点やケイティ視点の章が挿入されて、サスペンスを煽るだろう。この物語はあくまで重く静かに進んでいく。
しかし、この1/3をバカにしてはいけない。
すべての結末の原因がこの部分にある。ちょっと勘がいい人ならミステリの謎解きもしてしまえるかもしれない。
ちょっとがんばってここまで読んだら、あとは『ミスティック・リバー』のドラマに巻き込まれてしまおう。スティーブン・キング作品のように、商品名やTV番組名が山盛り出てくるので、あなたがアメリカものになじみがあれば、かなり臨場感があるはず。
ショーンの相棒のホワイティ(彼もまた壊れた家庭生活の持ち主だ)が、「スクリーンで上映するなら、俺の役は誰々だな」なんていうシーンもある。
「わかってる」 ジミーは手を伸ばしてデイヴの前腕をぎゅっとつかんだ。「ありがとう」
その瞬間。デイヴはジミーのためなら家まで持ち上げられそうな気がした。ジミーがここに置いてくれと言うまで、家を胸の高さに抱えられていられると思った。
私が何よりせつなかったのが、このシーン。
11歳のデイヴは、頭がよくて度胸のあるジミーについてまわっていた。25年後、苦悩する子持ちの中年になったデイヴは、やはりガキ大将に憧れる"少年"なのだ。この片思いは報われない。
そしてたぶん……すべての悲劇はここにあったと思うのだ。