2月
27日:2月に入ってから極めて仕事が忙しくなっている.限界を超えたような仕事量である.病床は満床で,それも重症者が多い.こんな状態では長く働き続けることは無理であろう.国,道ともこのような地域医療の状況を昔から認識しているにもかかわらず,なんら改善をしてこなかった責任は重い.医師の定員に関しても机上の空論をかざすだけで,名義貸しの問題がいったいどこにあったのか,マスコミでさえ本質的な問題を明らかにせず,スキャンダラスな報道をおもしろおかしく無責任に垂れ流しているだけである.風邪をひいて体調も悪く,今年度は3日の夏休みしか休んでいないことに気がついた.身内の葬式にも出席できなかった.自分が体をこわしてはいけないので,2月3月中に2日間有休をとるつもりである.
3月
27日:3月に入っても相変わらず多忙である.外来,入院患者,なおかつ夜間救急の患者も極めて多い.疲労のため免疫力が低下して,ひどい副鼻腔炎を再発した.上顎洞に多量の膿が貯留し,
頭痛がひどかったが仕事を休むことができず苦しんだ.今はやっと回復しているが,また他の病気を併発しそうである.4月上旬には内科学会の発表があるため,その準備もしなければいけない.どんなに患者が
多くとも,一人一人の命がかかっている.今日は外来が混んでいるからやらなければいけない評価を適当にするとか,入院患者が多いから入院が必要な患者を放っておくとか,そんなことは決してできない.
まだまだ,自分は外来の状況がどうあれ,こんなことをやってはいないので,医師を続けることができている.ただし,医療面接の授業で教えられるような診療態度はとれていない.いや,とれるわけもない.
午前中に70人の診察患者をさばくのに,たとえ少しでも余分な時間,エネルギーを割くことはできない.毎日が災害時の医療と同じような状態である.外来患者を診ている間も,救急車が外来に同時進行で搬入されてくる.まさに
トリアージである.こんな現実を国はわかっているのだろうか.
4月
24日:相変わらず病院のベッドは満床を続け,昨年度の売り上げもこれまでの最高を記録している.学会も無事終わり一段落であるが,仕事は休む暇がない.
この時期検診が多く,午前中外来が終わるかどうかわからないのに,昼から病院外での仕事のスケジュールが入っている.うんざりである.
先日投稿していた論文が採用されたと連絡を受けた.こんな日々の中で吉報があると,なんとかもう少し今の状態に耐えていこうかという気になれる.なんとかこのまま,忙しい臨床の合間を縫って,
学会発表,論文作成を同じようなペースで続けていきたいと思っている.単に地域医療を続けるだけではなく,このようなacademicな活動を続ける姿勢を保ち続けることによって,
若い医師や医学生に新しい地域医療のロールモデルを見せていきたい,またそうすることによって,少しでも地域医療を目指す良質な医師が増えることを期待したい.
5月
31日:春になって陸上レースシーズンの到来である.しかし自治体の経済状況の悪化のため,自治体が開催している長距離レース大会が,軒並み中止されてきている.
近場のレースがどんどん減っているため,自分も忙しいこともあるが,今年はレース出場回数が減ってしまう.フルマラソンもなんとか最低年二回は走っておきたいのだが,無理になった.
そんなこともあり,5月にまず40Kmを練習で走ることにした.網走から斜里までの直線道路で,当日は向かい風がずっと続き,つらかったが,2時間58分程で走ることができた.
今年のレースは,帯広まで出向いて6月27日のハーフマラソンから始まる.
6月
4日:先日,論文が一つacceptされたので,自分に対しての褒美と称して,また散財をしてしまった.といってもまだものは届いていないが.
キャノンから天体撮影に特化したデジタル一眼レフカメラが今年の冬発売になった.受注生産で発注してから納入まで3ヶ月という代物である.注文してしまった.
夏に向けて,赤い散光星雲を撮影するのが楽しみである.といっても忙しく,天体写真は月一回程度撮りに行くのがやっとであるのが寂しい.
仕事は相変わらず忙しい.また内科学会から,認定医,専門医の病歴書類の採点といった仕事の依頼や,さらに出版社からの原稿依頼もあって,病院以外の仕事も盛りだくさんである.
たまっている論文も仕上げなければいけないし,冷静に考えると自分には何人もの分身がいないと仕事がさばけないと思う.
まあ,忙しいうちが花と思ってがんばっていくしかない.
26日:本日は今シーズンの最初のレースであった.距離を踏む練習とともに,トラックでのスピード練習も加えて,今年は順調に体調も仕上がっていた.ところがレース前日ウイルス性の
胃腸炎にやられ,体調が最悪となった.幸い当日は回復傾向であったが,レースに臨む気持ちをそがれてしまった.しかし天候は幸いにも小雨で,気温も20度を下回り,上々のコンディションであった.
結果は1時間23分11秒の4位.世界選手権代表の高岡選手も出場していて気合いが入ったせいか,前半ペースが速く中盤失速したが,後半は逆に盛り返し,初戦としてはまずまずの結果であった.
レースに出場すれば,自分の悪い点が良く認識することができる.それを改善するためにあすから再び鍛錬を積もうと思う.ラップは20分51秒-18分31秒-19分52秒-19分56秒-3分59秒であった.
7月
3日:注文していた,天体写真用の一眼レフデジタルカメラ,EOS20Daが届いた.昨夜は曇りであったが,ダメ元で撮影に出かけた.雲間から北アメリカ星雲を撮影してみた.
左がカメラで撮りっぱなしの画像.EF70-200mmF4をF4.5に絞って,500秒露出,ISO800の一枚撮りである.すごい.まずノイズが非常に少ない.それから仕様通り,赤い星雲が良く映る.右は2枚の画像をコンポジットして
画像処理したもの.新しい武器を手に入れて,これからますます天体写真にのめり込みそうである.ここに,これまでの成果をアップロードしてあるので,興味がある人は覗いてみて欲しい.
18日:この週末は3連休で,病院のdutyもない.といっても患者が心配で病院に顔を出しているが.そのため休みは普段できないような練習をすることにしていた.16日に
40Km走を予定していた.しかしこの日は気温が30度近くあり多湿で,下痢もしていて体調が不良のため,脱水を起こして25Kmで断念した.しかし夕方再び18Kmを走って目標を達した.
脱水と熱疲労で体調が最悪である.しかし19日も暑い中,20Kmを走った.これはいつも練習している距離であるが,この日も気温が高くひどい脱水を起こした.自分のふがいなさを反省した.
こんなことでは昨年以上の記録は望むべくもない.気を引き締めて今後も練習を続けなければいけない.こんなに体力が落ちたことはこれまでなかった.
病院の仕事の他に,5月ころから様々な仕事に追われてきて,疲労がたまっているのかもしれない.論文作成,内科学会の認定試験の書類添削,内科学会のセルフトレーニング問題の解答,
旭川医大からの学生実習の受け入れ担当,それらが片づいたら今週からは依頼されている雑誌の原稿作成と仕事が目白押しだ.
8月
21日:8月のはじめに3日間休みをとった.休みをとるその日の朝まで当直.寝不足のまま車を運転して札幌へ.休みは家族とともに旅行したが,楽しい反面休息が
全くとれていない.依頼された商業誌の原稿を完成させて,今週は病院の仕事のみであとは休息しようと思ったら,先日投稿していた論文がreviewerの好意的なコメントともに戻ってきた.
そのため,指摘された点を検討して論文を手直ししなければいけなくなった.まだ忙しい日が続く.10月には消化器病学会の発表があるのでその準備,また来年の内科学会の抄録の締め切りもあるので
そのための準備など,病院のduty以外の仕事がたまっている.またまとめなければいけない論文がさらに1-2編ある.今週週末は休もうと思ったが,父親が手術をして入院しているので,200Km以上を
車で運転して見舞いに行ってきた.最近,週末に休息をとれないと次の週の仕事がつらくなっている.先週週末は当直をしていて疲労がたまっている.しかし体力が落ちているというわけではないのだろう.
ランニングはどんなに寝不足していても同じように続けている.精神的な疲労がたまっているということだ.今の仕事はまさに緊張の連続である.患者を診るときに自分が見落としをしたら,
このような医療過疎の地では,その患者の人生はだいなしになってしまう.だから休まなければいけないのだ.せめて,土日をフルに休ませてくれたら,いまのような困難な状況でも長期間仕事を
続けることができると思うが,そうはなっていない今の状況ではいつまで続けられるかはわからない.精神的な休息をとるのは実は難しい.この町にいる限り救急車の音を聞くたびにドキッとする.
星を見ること,写真を撮ることは自分にとっては実に精神的な休息の助けになっている.
この天の川を見てもらいたい.田舎のこの地だからこそ見ることができる星空である.
9月
18日:相変わらず忙しい.知床が世界遺産になってからというもの,救急外来が非常に多い.大部分が旅行者である.日常診療に支障が出るほど夜も十分に休むことができなくなりつつある.
病気がありながら,なおかつ旅行が無理な状態であることを知りながらこちらに来るというパターンが多い.はっきり言って,迷惑である.非常識としか言いようがない.
こちらはどんな患者も診療を拒否することはできない.病院に来た以上は,最善を尽くさなければいけない.本当に何とかならないものであろうか.斜里町の人口は1万4000人弱であるが,隣町には診療所しかないため
たくさんの患者が通院して来る.また隣町も,その隣の町も,小児科,外科はないため,子供,交通事故などが夜間救急としてそちらの方からも運ばれてくる.ウトロという観光地を抱えているため,観光客が非常に多く,そこからも全て
救急患者は運ばれてくる.昨年度は一年間に救急車の数は600弱であったが,今年はもっと多くなっている.夜間に2-3回救急車がくることはざらである.日中も同じである.午前中の外来で60人弱の
外来患者を診ているときに,吐血や,脳梗塞といった救急患者が平行して運ばれてくる.どうしようもなかったので,網走の病院に事情を話して転送させてもらった.保健所や,社会保険庁の病院査察
があるが,そのときには診療報酬や,保険のことばかり指摘して,医師の数が足りなくて病院として機能が危うくなっていることや,夜間の当直と称して,実は夜間診療と変わらない仕事を続けながら
次の日も多数の患者の診療をしているという違法性については,わかっているのに全く関わろうとしない.医療ミスがおこってもさもありなんである.日本のお役所の事なかれ主義というのは,いつになっても
変わらないのか.日常診療とともに,来年の内科学会発表の抄録の作成,投稿中の論文が帰ってきて,指摘された点を検討して期限までに提出しなければいけないために手直しをしなければいけないし,
内科学会から依頼を受けた,内科専門医受験者の研修記録の採点,10月にあるDDW-JAPANの発表準備と診療が終わった後,精根尽きているところに休むことなくこれらの仕事をこなしている.
おかげで体調は長期にかぜがなおらず,最低である.天体写真もしばらく撮りに行っていない.本日はハーフマラソンのレースであった.体調,天候が悪く,タイムは1時間23分40秒で不満足に終わった.
10月のはじめに,DDW-JAPANに行く直前に今年最後のそして最初のフルマラソンに出場する.今年一年,このレースにかけてきたわけで,なんとか体調を元に戻してタイムをねらいたい.しかし
患者の数が減らないと,それは無理だろう.せめて土日だけ,ゆっくり休ませてくれるなら,今のような体制でも続けていけると思うのだが.どなたか,土日祭日の当直をアルバイトでしてくれる人は
いないでしょうか?東京以北(東京を含む)であれば,本州から来てもらってもかまいませんので,興味があればメールをください.
10月
15日:10月2日は今年最初で最後のフルマラソンのレース.前半を昨年より1分以上早く通過した後,35Kmまでは何とか粘ったが,気温も高いこともあり一気に失速.数キロ歩く羽目になり
記録もさんざんであった.悔しいが,また練習を続けて,来年にかけようと思う.マラソンが終わったら,学会発表のため神戸へ行った.旅立つ寸前まで仕事をして,帰ったらまたすぐに仕事に戻るという
ハードスケジュールであった.神戸に行っているときは,なぜか夜はゆっくり落ち着いて休むことができた.しかし最後の朝,救急車のサイレンの音で目を覚ました.そのとき,夢うつつでまた病院に呼ばれる
と反射的に考えている自分に気づきはっとした.疲労感が抜けない.肉体的なものあるが,精神的な疲労の方が大きいのだろう.そんな中でも論文を再投稿するため,
連日仕事の合間にコンピュータに向かい論文の手直しをしていた.そして先日やっとこの仕事が終了し,しばらく遠ざかっていた,天体関係の活動を再開するようになっている.
今週は,3日間望遠鏡を持ち出し,山の中で撮影を行った.最近,astrosnapというソフトウェアと,ToUcamというwebカメラ,コンピューターを使って,星を撮影するときに追尾がきちんと行われているか
確認して自動で補正するというオートガイドのシステムを構築しつつある.このシステムを構築するためには,オートガイドは,本当なら数十万の出費が必要だが,今のシステムはwebカメラを2万円ほどで手に入れれば良く,
うまくいけば実にコストパフォーマンスが優れている.今週の実験では焦点距離が600mm程度の望遠鏡では,8分ほどまずまずの精度で追尾ができることを確認している.
今までは星を見に行っても,撮影しているときは,追尾がうまくいっているかどうかを確認,修正するために自分が望遠鏡で星を常に監視している必要があるため,ほとんど夜空は見ることがなかった.
これからは,撮影している間は,いすに座ってお茶でも飲んでゆっくり休んでいるだけになる.すばらしい進歩.
これは実験で撮影した
M31である.月明かりの中での撮影で,風も強くシーイングも最低で星像にしまりがないが,8分露出でもガイドはまずまずである.
11月
15日:先日投稿していた論文がまたacceptされた.日本に帰ってきて大学で行った,ヒトを使った基礎研究である.科研費を使用して行った仕事で,倫理委員会への申請
からすべてを自分が計画して行った仕事である.大学院を卒業するとき,恩師から院を卒業すると言うことは,以後は自分一人で研究計画を発案して実行することができるという資格を得たと言うこと,
これからもresearch mindを失わずに仕事をしていかなければ資格の意味はないと教えられた.やっと自分もそのようになれたのかと思えた瞬間であった.
お祝いのため,自分への褒美として何かを買おうかとも思っているが,そんなことを考える暇もないような仕事の忙しさで,努めて休まなければいけないと自分を諭している毎日である.
12月
10日:12月で内科医3人のうち一人が退職,さらにもう一人も来年3月いっぱいで退職することになった.さすがに北海道もこの窮状を理解したのか,
今月より一人医師が札幌医大から派遣された.しかし現段階では来年度から自分を含めて2人しか医師が確保できていない.なぜ医師がやめていくのか.それは町の対応の悪さに他ならない.
これまでこの町は,全国でも最悪の医療過疎地域であるのに,医師数は奇跡的に割合確保されてきたし,なおかつ地域医療の意味を理解して,地域に貢献したいという崇高な意志を持った
先生がこの病院を守ってきたので,診療のレベルとともに病院の赤字もここ数年で大幅に改善されてきた.それにもかかわらず,町は我々を含めた病院職員の努力を評価するどころか,
病院会計の圧縮や,なおかつ病院の民間の委託についてもどうこう言っている.民間委託については,別に我々は悪いとは思わない.しかし議会で民間委託を考えていると発言するなら,民間委託
した時の,町の経済的な支出がどうなるのかなどという試算は当然していなければいけないのに,そんな検討は全くしていない.単に根拠のないその場限りの放言を,公の場で公人が答弁しているだけである.
そんな姿勢が我々をいらだたせる.世界遺産に認定されて,観光客が大幅に増え,救急患者も大幅に増加している.そんなことははじめから解っているわけで,そのためには町として医療の充実を
はからなければいけないのは当然なのだが,医師を確保する努力も,これまで何度もこちらから指摘しているにもかかわらず,積極的にしてこなかった.世界遺産に認定されても
こちらは迷惑なだけである.ボランティアで,今まで以上に時間外の急病患者の対応を無理にこなしているのである.世界遺産は,自然を永遠に保護するためのものではないのか?
町にそんな認識があったのだろうか?観光客が増えて,お金がばらまかれるのを期待するというのがほとんどの人の意識だろう.貧困な精神.現在病院の会計は改善され,
実際の町からの赤字補てんは数千万円まで圧縮されているのに,そのお金も出せないという態度である.私はそんな状況で,他の医師が退職をするかどうか悩んでいることを早くから知っていたから,
何度も町に態度を改めて,しっかりした対応をするように助言してきた.しかしなんの対応もなく,今の事態に陥っている.医療は地域のライフラインである.そう考えると,町の責任者の
無責任さに腹が立つ.こんな状況のため,私も3月で退職希望を伝えている.しかし町からはなんの応答もない.私もここの町に必要がないものと,理解するしかない.また医師が確保できないから
1月からは新規入院患者を引き受けないという方針でよいのかと言っても,やはりなんの返答もない.
というように,自分の常識からすると考えられないような対応が延々と続いているので,やはり自分のこのままここで仕事はやっていけないと思うに至った.
さて,4月からはどうするかというと,勤め先はいくらでもある.研修制度が変わって,研修病院では教育に力を入れていて,教育スタッフに加わってくれないかという誘いがある.
また,私の医局の関連病院も,医師不足が深刻で応援を期待されている.しばらくはこれらの病院でアルバイトをして,今後を考えても良い.大学に帰りたい気持ちもある.
大学にはポストがないが,自分はそんなことにこだわらない.研究生となって,逆に臨床にはタッチせず研究だけに専念するという夢のような生活もある.
これから少し時間があるのでいろいろ考えようと思う.
30日:本日から年末年始の休業に入った.しかし昨夜も当直ではなかったが,深夜に急患で呼び出しがあり,そのまま朝まで病院にいることに.これからの正月休みの行く末を暗示するような出来事であった.おそらく救急患者であふれるのではないだろうか.昨日,先日投稿していた論文がacceptされてことを告げる連絡があった.今年は3編の論文(original article1本,short communication1本,case report1本)がacceptされ,うち一本はpublishされた.たいした論文ではないが,自分としてはproductivityが高い一年であったと満足している.来年もこの調子でがんばりたい.今年は陸上の方は,忙しくてレースもあまり出場できず,フルマラソンも惨敗した.しかしトラックを使ったスピード練習や,筋肉トレーニングを新たに取り入れ,確実に身体能力はアップしたと思う.この冬は,すでにダンベルも購入し,さらなる上体の筋肉強化を開始している.体脂肪は二十代とかわらない8%をきちんと維持しているし,体型も全く変わっていない.来年はレースで新記録をねらいたい.天体写真も来年はさらなるステップアップをはかりたい.実は最近新しい撮影システムを構築するために,新たな架台を手に入れた.
後ろに見えるのが今まで使っていた架台で,全く大きさが違う.振動,たわみが大幅に減少しているので,長時間露出に耐えられると思う.実は,撮影専用の新しい鏡筒も注文し,冷却CCDのオートガイダーも発注してしまった.全く新規の撮影システムとなる.来年はこの機材で撮影を行う予定だ.そして仕事は,どこでどんなことをするにしても,毎日プロとしてやらなければいけないことをこつこつと続けていこうと思う.我々が研修医の頃は,今と違ってしっかり教育してくれる指導者がおらず,研修という名で雑用を来る日も来る日もさせられていた.365日24時間の拘束.いつ何時呼ばれてもすぐに駆けつけるために,一日中術着を来て生活していた.夜もそのまま寝る.寝ると言っても医局のソファーがいいところだ.収入は12万プラスアルバイト.睡眠時間は3-4時間はざらで,全く眠らないで2-3日働くことも珍しくない.そんな生活が2年ほど続く.過労死の報道を読んでも,そんなレベルの勤務状態で死に至るのなら,自分たちは何度死んでもおかしくなかったと思う.そんな中で,死にもせず,仕事も辞めずに続けているのは,命を救うという仕事をしているという充実感があるからである.企業の利益のためでもなく,私欲のためでもなく,我々は本能で患者をとにかく助けようとしている.この達成感を得るために仕事をしている.しかし,マンパワーが足りないと疲労が蓄積して,充実感を上回る疲労感,無力感が出現する.こうなるとこの環境では仕事を継続するのは無理になる.自分の納得がいく仕事ができなくなるし,それはそのまま,患者の不利益につながるからである.来年度は良い環境で,余裕をもって仕事をしたいものである.