2006年
1月

28日:あけましておめでとうございます.正月休みは一泊二日で両親を連れて,温泉に行ってきた.それだけが唯一の休息.帰ってきたら,相変わらず病棟が荒れている.痰を詰まらせて呼吸不全になった患者に緊急集中治療を開始したのが今年の仕事始めだった.外来も相変わらず多い.先週は連日で午前中のみで70人,60人という患者をこなした.4分で1人の患者の処置を行わなければいけない計算で,本来ならやってはいけない診療行為だ.入院患者は1人で28人を担当することになり,30人に迫っている.働き過ぎだ.まあ,こんな生活も長くは続かないと思えば,不思議と冷静に続けられるものである.仕事以外の時間は,スキーをやったり,天体写真を撮影したり,スケートをしたり,論文を書いたりと,じっとしている時間を作らないようにしている.完全休養をするとかえって続かなくなるような気がする.忙しければ忙しいほど,趣味に興じるというのは,こんな理由があるのだろう.練習日誌を確認してみると,去年は一度もランニングを休んでいなかった.自分の場合,どんなに時間の確保が難しくても練習することが当たり前なので,練習を休むというのは,病気で体調不良以外にない(まあ,体調不良がよっぽどひどくなければ走るけど).仕事が忙しいので,風邪もひかなくなった.精神力で病気にもならないようにするし,なっても精神力で乗り切ってきている.こう考えてみると,今の生活というのは,ぎりぎりのところで日々を過ごしている反面,もっとも充実している人生を送っているのかもしれない.皮肉を込めてありがとうと言おう.

2月
25日:相変わらず忙しいので,趣味の天体写真も最近あまり撮りに行っていない.忙しいのと,天気も例年になく悪い.せっかく新機材を手に入れてのに使えなくて欲求不満が続いている.それでも先日,悪天候の雲間から,試し撮りしたM42を載せておく.薄雲がかかっていて,星はにじんでいるが,周辺視野まで星像は流れずすばらしい.

新しい鏡筒は以前使っていた鏡筒の3倍の値段がついているのも,納得する性能である.いかんせん,この機材を使いこなす時間的余裕がないのがいかにも残念.新しい望遠鏡はタカハシ製作所という我々天体写真を趣味とするもの達の,あこがれの望遠鏡メーカー.子供の頃は,この会社の機材を手にすることは,夢のまた夢だった.高価なために一生手に入れることができないと思っていたものが手にはいることになったのに,今度は昔は有り余っていた時間がなくなっている.皮肉なものである.

3月
19日:4月から内科医師がもう一人確保できることになり,さらに町の不誠実でずさんな病院,医療に対する対応策について,町長が公式に町民に対して謝罪したことを受けて,私も新年度もここの病院に残るという態度を表明した.いずれにせよ今よりも自分の仕事が増えることはあっても減ることはない.入院患者は一人で30人を担当している.最近2週間ほどは,異様なほどの疲労感を自覚していた.先週土曜日は心筋梗塞の患者が夜中の2時頃運ばれ病院に呼ばれ,そのまま病院に泊まった.翌日曜は当直でやはり睡眠があまりできていなかった.そして火曜日(3/14),午前中外来をやっていた.10時頃より心窩部痛が出現.なんとか70人ほどの診察を終えて2時頃痛みに耐えかねて自分の控え室で寝ていた.ウイルス性の胃腸炎だと思っていた.しかし下痢はしていない.心窩部が痛いが圧痛はない.また右の下腹部にも全く所見がなく,このまま様子を見ようと思っていたが,遅くなってから検査をするのも迷惑になるので,自分でエコー,CTをすることにした.そうすると虫垂に糞石が詰まっており,腫大している.腹部所見ははっきりしないが,急性虫垂炎に間違いなく手術が必要であった.たまたま当院の外科は手術中で対応が難しいとのことで,救急車で他院へ転送されることになった.その日は,緊急手術は行わず,急性虫垂炎には間違いないが,腹部所見がはっきりしないので,抗生物質を使って経過を見ることになった.その夜は痛みで七転八倒だったが,翌朝には,若干痛みは軽減した.しかし,右下腹部には圧痛が明らかとなり,このまま抗生物質の投与で今回は収まってしまう可能性が高かったが,糞石の存在もあるので,将来高率に再発を来すと考え,手術をしてもらうこととした.全身麻酔での手術で,問題なく終了したが,その夜も痛みは続き,寝返りも満足に打てないため大変だった.翌朝からは歩行も可能となり,食事も始まった.そして金曜日(3/18),術後2日目に退院した.本当はもう少し入院している人がほとんどであるが,あとは自分としては自宅で療養しても同じことができると判断した.また入院しているとやることがなくて,暇で気が狂いそうになる.本日は退院後2日目,術後4日目だが,一生懸命リハビリをしている.まだ傷が激しく痛む.歩行するのがなかなか難しい.しかし昨日は4Kmを90分ほどかけてゆっくりと歩行,本日は2時間かけて8Kmほど歩行した.歩いた後は疲労でがっくりしている.また食欲がない.一日の摂取量は500-600Kcalほどにしかなっていない.腸管蠕動が,盲腸周囲に起きると激痛がはしり,左側臥位になって,盲腸に空気が入って腸管が伸展されると痛みがくる.病院の好意で今週前半まで療養させてもらえることになったので,なんとか一日でも早く復帰して,他の先生に迷惑をかけないようにしたい.自分は勝手に病気になっただけで,他の先生も自分と同じようにぎりぎりのところで仕事をしているのに,それに加えて私のせいで雑用をさらにしなければならないわけで,休んでいるのが本当に申し訳ない.入院,手術は自分としては初めての経験であった.根拠はないが,今回の病気は,過労が一因であったことは間違いないと思う.しかし今後も仕事が減ることはなく,同じような生活が続くことは間違いない.体が続く限り仕事はするつもりであるが,いつまで体が持つかはわからない.自分がこの仕事をしている限り,こんな生活から逃れることはできないとあきらめている.先日新しい論文がpublishされた.小論文だが,こんなものでも発表することで,誰かの役に立つものと信じている.4月には内科学会の発表があるため,療養中にその準備もしなければいけない.

4月
8日:手術してから3週間近くが経とうとしているが,体調の回復が思わしくない.創部感染を起こし,しばらく洗浄していた.最近はやっと傷の方もあまり痛まなくなってはいるが,まだ創周囲の皮下はに浸出液がたまっており,ふくれている.免疫能の低下を客観的に裏付ける現象である.特に当直などで寝不足をした翌日は,創部の調子が悪くなり,微熱がでる.もちろん当直の翌日も仕事をするが,その夜は話すことが億劫なほど疲労していて,すぐに床につく.食事も少しずつ量は増えているが,それでも病気をする前の半分ほどのカロリーに過ぎない.体重は50Kgぎりぎりである.筋肉量が低下しているのが自分でもわかる.それでも,復活をめざしてランニングを開始している.本日は久しぶりに20Km以上の距離を走った.とにかく少しずつやっていくしかない.なにか悪いことばかりのこの頃だったが,先日病気をする直前に投稿した論文が,minor revisionでacceptされるという連絡がeditorから届いた.嬉しい知らせであった.それにしても最近は投稿した論文は,ほとんど問題なくacceptされている.調子が良い.来週は内科学会の発表のために横浜に出張するが,そのとき病気の全快と,今回の論文のお祝いと称して,また何か買い物をしてこようと思っている.そのぐらいの贅沢は,自分のための褒美としてささやかなものだろう.

また先日原稿依頼を受けていた原稿が,本となって発売された.もちろん70人ほどいる共同執筆者の一人に過ぎないが,この本は今まで私が書いてきた自分の専門分野のわかりにくい話ではなく,一般医科向けの,日常診療にすぐに生かすことができるtipsが載っている.私は消化器領域の一つのテーマについて書いている.店頭でみつけたら,手にとって見て欲しい.

5月
2日:体調はまだまだ不調のままである.仕事は相変わらず多く,さらに日々増えている.食事量もそれほど増えず,体重も変化はない.もう手術後6週間ほど経過しているというのに,最近また創部に感染を起こし,膿が出ている.思い切って完全休養を数日とらなければ,回復しないのではないかと最近考えているが,仕事を休むことはできないので,これはおとぎ話である.毎日朝,20Km走っているが,ペースがまるで上がらず嫌気がさしている.焦っても仕方がないと自分に言い聞かせているが,今までのように走ることができないと,本当にいらいらが募る.体調も考え,極力寝不足を避けるために,天体写真も撮影していなかったが,先日久しぶりに行ってきた.

M51である.やはり新しい撮影システムはすばらしい.これは一枚撮りの10分露出,自動ガイドで,今までのシステムではどんなにがんばっても,この解像度で撮影はできなかった.体調を戻して,これからどんどん撮影していこうと思う.先日editorからminor revisionの指示があった論文は先週書き直しが終了し,再投稿した.まだ書かなければいけない仕事が2編ほどあるので,今度はそれにとりかかる予定であるが,体調不良のため今週は体を休めたいと思っている.しかしどうなるかわからない.ゴールデンウイークで,観光客も増えており,救急外来も混雑しそうで休み中も働かされる可能性が高い.

6月
14日:先日再投稿した論文が,早くもacceptされたと知らされた.最初の投稿から実に1ヶ月半.最近のJournalのほとんどは,onlineで投稿ができるため迅速に処理されるようになっている.今は次の論文にとりかかっている.しかし忙しく疲労が蓄積してなかなか進まない.外来は先週80人の日もあった.これを8時半から1時半の間にすべてさばく.本当はこんなことをしてはいけない.時間を計算しても,一人に2-3分(名前を呼んでから次の患者呼び入れるまで)の診療ですまさなければならない.そして午後は30人もの入院患者を一人で管理するため病棟へ行く.こんな日々の繰り返しである.さらに夜間の救急当直もある.睡眠不足のまま,次の日の診療になだれこむ.当直の他に,夜間の病棟当番も担当しなければならない.入院患者は多いし,さらに救急外来で当直医が対応できない内科救急患者の診療にも呼ばれる.土日も病棟当番,当直がある.そのほかに,くだらない大量の書類作成(保険の診断書など).管理者として病院のシステム管理の仕事,学校検診.こんな現実を知らせたら,こんな地域の病院に勤める医者はだれもいなくなるかもしれない.本日,4月から雇った内科医師が突如辞めた.この瞬間,内科医は2人だけとなり,今までの仕事をこのまま続けていくことが不可能となった.町にもその旨伝えてあるが,病院の今後の存続を含めて検討するしかないだろう.少なくとも今後も医師数は減っても増える見込みは全くなく,将来のことを考えてどうするかを真剣に検討するしかない.とにかく,少人数で今の仕事を維持していくことは無理である.なにはともあれ,今日すべての仕事を投げ出す訳にはいかず,日々の仕事を続けるしかないが,いつまで続けられるかはわからない.自分が体をこわせば,そのときは躊躇なく,終わりにするだろう.虫垂炎になって,無理をして退院して,一刻も早く仕事復帰すると言うことはもうしない.とにかく自分の意志で続けられるところまではやろうと思っている.町に貢献するという意味ではない.すでにそんな気は全くなくなっている.医師として,自分自身が納得するために続けるという意味である.いつ自分が納得できるか,それは一ヶ月後かもしれないし,二ヶ月後かもしれない.力尽きて,全力を出し切ってもうこれでいいだろうと納得したら,終わりにしよう.しかしこんな状況の時にはなぜか研究の意欲がわいてくるのが自分の不思議なところである.毎月数冊の医学雑誌に目を通すが,その論文にヒントを得て,こんなことをやったらおもしろいのではないかというアイディアが浮かんでくる.まあ,自分はこのような活動をする気がなくなったら,おそらく医師も辞めるだろうと思っているので,日々の泥臭い臨床とacademic activityのバランスをとることが,自分が医師という仕事を長く続ける秘訣でないかと思っている.しかし最近は疲労からか,早く隠居して,趣味の天体写真やランニング三昧の生活をできたらと思うことも多い.
26日:昨日は今年初めてのロードレース.帯広まで遠征してハーフマラソンを走ってきた.病み上がりで体調は最悪.さらに仕事が忙しく疲労困憊の中でのレースだった.なんとか完走しようと,はじめはスローペース.それでも後半はさらに失速して,タイムは1時間24分10秒であった.気温は22度と暑く,昨年と比べると1分ほど遅かったが,他の出場者はもっとタイムを落としていたこともあって,二位入賞であった.父親にレースで走っているところを撮影してもらったが,フォームをチェックするつもりであったのだが,まず思ったのは自分が痩せていること.体重は手術前より3kg以上痩せたままで50Kgそこそこである.手足の細さも目立ち,脂肪が減ったと言うより,筋肉の絶対量が減っているのは間違いない.それでもこれぐらいの走りができたことは収穫か.練習はがんばって毎日やっている.筋力トレーニングも毎日している.なんとか以前の体力が戻るよう努力を続けよう.

7月
4日:内科が2人体制となって2週間以上が経過した.早くも疲労困憊である.日曜日の夜間当直は救急車が4台.このうち2人は心肺蘇生を行う必要があり,本当にこちらの方が蘇生が必要な状況になりそうである.いつまで続くかわからない,このような状況を考えると,絶望感におちいり自暴自棄になりそうであるが,いつ辞めるかは自分の都合で決めさせてもらうこと,それまでは全力を尽くすと町の方に宣言してから,なぜか気分が楽になった.ぎりぎりまでがんばって,力尽きたら辞めるまでである.いずれにせよ,医師を募集するなら,当院での業務内容(内科は午前中80人の外来患者をさばかなかなければならないとか,入院患者は一人で30人受け持つとか)を偽りなく応募者に伝えて,それを理解してもらってから雇わなければならない.そうしないと,今回のように雇用しても,すぐに辞職することになる.しかしそのような現実を知らせては,だれも働こうという人間はいないかもしれない.こんな中で,内科学会の仕事(内科認定医の出願書類の採点)や,自分の義務として毎年自分に課している,内科学会の内科トレーニング問題の解答など,病院の仕事以外の業務もこなしている.来週からは旭川医大の学生さんが実習に来るため,それにもつきあわなければいけない.論文もあいかわらず少しずつ書いている.さらに消化器関連の研究会のシンポジストの依頼を先日受け,10月に発表しなければいけない.10月は消化器病学会の発表もあるので重なる.寝不足になっても,意欲を持ってトレーニングは続けている.たらたらジョギングだけをしてもタイムは伸びないので,スパイクをはいてトラックで300M のインターバルトレーニングもやる.がんばっている.他人からがんばってくださいと言われると腹が立つ.もうぎりぎりまでがんばっているのだから,これ以上は無理なのだ.私の体を心配して,無理をしないでくださいと言ってくれる人もいるが,それはここを辞めなさいと言っていることと同義である.こんなに大変なのに,なぜか充実感がある.それは全力を尽くしているという自負があるからだろう.現在気持ちを癒してくれることは,星を見ること,天体写真を撮ることである.寝不足になるが,それでも気持ちがリフレッシュされる.先日撮影したM20,M8の写真を載せておく.

これまでの私の傑作の一つに数えられる.時間がもっとあれば,思う存分写真を撮ることができるのにと思う.
16日:疲労蓄積が著しい.金曜の夜は今週2度目の当直.寝不足のまま昨日の土曜を迎え,今週週末は内科当番.午前中は病棟勤務をして,午後少し昼寝をしようかと思っていたら,救急外来から吐血の患者が来たとコールがあった.緊急内視鏡を行い止血完了.カルテ整理と指示を出していたら,今度はこの患者なぜか心肺停止に陥った.心室細動がその原因で,直ちに蘇生を行い,今は呼吸器がつながって集中治療モードになっている.(それにしても,消化器専門医として内視鏡治療をしたかと思ったら,次は循環器内科医,救急医がする仕事をしている.総合病院であれば,VFになった時点で自分の手から患者は離れて,他科へ転嫁になるだろう.)やっと落ち着いて,夜9時半頃最後に病棟を見た後,布団に倒れ込むように横になった.その一時間後にもう一人の吐血患者が救急外来を受診したとコールがあり再び病院へ.幸い(患者は幸いではないが),患者が治療を網走の病院で希望したため,応急処置のみ行い転送.私自身はこれで助かった.もう余力がなくなっている.新規入院患者は原則受け入れないことにしているが,それでも病棟患者は減る気配がない.それは,この原則はいとも簡単に破られるからだ.超高齢者や,患者の強い希望があった場合は,入院を断ることができないのがその理由だ.このままではつぶれることがわかっているので,土日だけでも休むために内科病棟当番をしてくれる人を探したところ,とりあえず不定期に来てくれる人が見つかった.しかし,アルバイトの医師の医療レベルは不明である.病棟患者の急変はたいていの場合は対応できると思うが,救急外来で今回のような患者が頻回に来たら,はたして内科医として対応できるのであろうか?そう考えると,アルバイトを雇っても,結局は自分が呼ばれることになり,休息することは無理なのではないかと思えてしまう.やはり割り切るしかないか?自分は休みでもほとんど自宅を遠く離れることはない.なにかあるのではないかといつも心の隅で考えているからだ.しかし少しでも長く今の仕事を続けるためには,こんな気持ちは捨てて,割り切ってやるしかないのだと今思い始めている.
29日:多忙な生活の中で,趣味を続けることは困難である.趣味はランニング(こちらは趣味と言うより,生きるためにやっていると言っても良いものだが),天体写真を含む写真撮影,釣り,昆虫飼育などたくさんあるのだが,忙しい割にはどれもそこそこやっている.論文を書くことも自分にとっては趣味なのではないかと思う.もちろんランニングは毎日しているし,釣りも年に5-6回は行く.今は自宅では飼育していたカブトムシ,クワガタの幼虫が孵化して元気に動き回っている.天体写真は一番労力と時間,運が必要だ.まず,曇ったり風が強いと撮影は無理.月夜もだめである.病院から拘束されている日はだめ.そうすると月に一度程度しか撮影可能にならない.撮影に行ってから曇ることもあるし,うまく撮影が始まっても翌日は仕事なので,なるべく早く撤収しなくてはならない.最近は時間を節約するために,明るいうちから撮影地へ移動し,望遠鏡のセットアップを始め,暗くなったら即撮影モードに入るようにしている.また,あらかじめ撮影対象や画角,構図を含めた撮影計画をたててから現地に行くようにしている.
 
先日撮影した成果を載せておく.左はM16,右はM8である.この日は3時間半で,他にも2種の天体撮影を行った.機材の特徴もつかめてきたので,撮影効率は大幅にあがっている.目に見えない天体を撮影して,露出が終了したときにデジカメのモニターにその美しい姿が現れる瞬間は実に感動する.来週は3日間,夏休みをとる.内科医の突然の退職のため,今年は休みをとらないかとも思ったが,私がとらないと下の先生も休みをとりにくいと考え,あえて休むことにした.またその期間はアルバイトの内科の先生がカバーしてくれることになったので,とりあえずは安心である.短期間の休みであるが,心身ともにリフレッシュして,休暇後の過酷な仕事に臨む準備ができればと思っている.

8月
20日:夏休みは,子供と遊ぶ時間にほとんどが費やされ,自分の時間はほとんどなかった.虫垂炎で手術を受けてから5ヶ月が経過し,最近やっと満足に練習ができるようになってきた.特に最近は練習量も増えている.朝5時に起床して,普段は休日にしか走らない25Kmの坂の多いコースを,平日の朝にも走ることがある.この週末も2日連続でこのコースを走った.最近,以前の走りとは違い,省エネルギーでなおかつペースをあまり落とさない新たな走り方がわかってきたような気がする.この走りではハーフまでの距離では記録は望めないが,フルマラソンでは非常に有効である気がする.10月のフルマラソンに向けて,準備を続けたい.体重はそれでも昨年と比べるとまだ2-3kg少なく,あまりに体脂肪量が減っているとマラソンも走ることができない.練習とともに食事にも気をつけて,体調管理をしていこうと思う.8月は週末の内科カバーをしてくれる先生が見つかり,休むことができることになった.無理をしても,割り切って休めるときには休むように心がけている.それでも忙しいことにはかわりがなく,なかなか天体撮影に行くことができない.夜も病院で拘束されるからである.仕方がないので先日,自宅の前で試しに撮影してみた.街灯だらけで撮影できる環境にはないのだが,それでも画像処理と光害カットフィルターを使用して下のように北アメリカ星雲を撮影することができた.
 
厳密に鑑賞するには少々厳しいが,機材の進歩でここまで撮れるようになっている.オートガイダーを使用している今の撮影スタイルである.セットアップをして露出を開始したら,後は家の中で休んでいても良い.お気楽撮影である.

9月
22日:週末に,アルバイトの先生が来てくれるようになって,少しは休む時間がとれている.しかし,10月の消化器病学会とそれと同時に行われる消化器心身医学研究会のシンポジウムの二つの発表のスライド作り,さらには内科学会から委託されている専門医試験の病歴記録の採点と,仕事が重なっている.本業が少し楽になると,副業が多くなり結局は一年中忙しい状態が続くことになる.夏の間満足できるような練習ができていたので,秋のレースは期待をしていたのだが,先日行われた10Kmロードでは38分台,そしてハーフマラソンは1時間25分をちょっと切る程度というていたらくであった.順位は3位,5位と入賞で表彰も受けたが,タイムは全然だめである.やはり病気をしてから体調がまだ戻っていないことがその原因と思われる.体重はまだまだ元には戻らず,足や腕は去年と比べても細いのが自分でもわかる.筋力の不足と,スタミナのなさ.練習ではそこそこ走れてはいても,やはり限界を超えるような負荷がかかるレースでは,ごまかしがきかない.スタミナと絶対的な筋力不足.それでも先日は子供の学校行事で登山があったのだが,その日は朝4時からいつも通り20Km走ってから,何食わぬ顔をして登山をこなして帰ってきた.常人から見れば十分体力はあるのだが,陸上競技というのはそれほど厳しいものなのだろう.来週は今年のメインレースのフルマラソンである.タイムを狙うことは無理であるが,今の状態で最善を尽くして,満足なレースにしたいと思う.最近撮った写真を載せておく.M31とIC1805である.そろそろ真剣に一枚完璧な写真を撮っておきたいと思っている.それには天候が最も重要だが,自分にとっては自分のスケジュールをいかに空けるかということの方が重大である.
 

10月
4日:10/1は,今年最初で最後のマラソンに出場してきた.体調が最悪で,記録を狙うべくもないことは十分解っていたので,前半は極力ペースを落として走り,後半できる限りがんばるというレースプランを立てた.結果は24分6秒-23分50秒-23分36秒-23分43秒-23分24秒-23秒32秒-23分4秒-22分47秒-9分37秒のラップで3時間17分42秒であった.結果は予想通り良くなかったが,思惑通りのレースで今の段階ではこれ以外に方法がないという走りであった.最善を尽くしたことにはかわりはないで,それなりに満足はしている.また来年に向けて,冬期練習に臨もうと思う.病院の仕事は相変わらずで,仕事が減る気配は全然ない.内科医師の募集はしているが,全く見つかる気配はない.いったいこの町の医療はどうなってしまうのだろうか.医師がいなくなることで最も困るのは住民のはずであるが,いまいちこちらに危機感が伝わってこない.病院はどんな時代になってもそこに存在して,いつでも診療を受けられるのが当然であると思っている人が多い.甘すぎる.最近の新聞,テレビの報道を見て,札幌近郊の大規模な自治体総合病院でさえ内科医がいなくなり閉鎖の憂き目にあっている.網走管内は日本でも最も医師数が少ない地域である.その中でもさらに地方に位置するこの町で,これまで診療が維持できてきたのは奇跡と考えなければいけないのだ.これが現実である.また今の内科2人体制はあくまで緊急避難的なものであり,長期に継続することは不可能である.そうなるとおのずと将来どうなるかが見えてくる.こんなことをかれこれ1年以上真剣に考えて心配しているのだが,本当に考えなくてはいけないのは自分ではなくて町の方である.最近はこんなことを考えても仕方がないと割り切って,あえてそのことを思うことを封印している.こちらは自分のやるべきことを自分が納得するまでやるのみである.
最近撮影した写真を載せておく.IC1396とカリフォルニア星雲である.メシエ天体に飽きたらず,撮影対象を広げている.今の撮影システムはとりあえず今のスタイルで完結している.撮影効率も上がっているので,今後もどんどん作品を作り出していきたい.
 

11月
11日:札幌での学会も無事終了した.あまり期待通りの演題はなく,口はばったいがいまいちであった.アメリカ消化器病学会はこれまで3度発表しているが,規模の大きさも桁にならないが,実にすばらしい学会である.久しぶりにこの学会に出席したいと強く思った.しかし,出席するためには1週間は職場を開けなければいけないので難しい.仕事はまた最近患者が増加してきており,忙しくなっている.なんとかこなしているという状態だが,今やっている仕事をやって当然と思ってもらっては困る.やってはいけないことをしているのであって,無理を強いられているわけである.そこのところが町の方でどれだけ解っているのか,こちらには伝わってこない.忙しいのに,また雑誌の原稿依頼があったりで,こんな仕事をしている暇はないと思いながらも毎日原稿を書いている.陸上はシーズンオフに入ったので,練習も鍛錬期のメニューをこなすように変更し,とにかく距離を踏むような練習と筋肉トレーニングをあわせてやっている.夜も当直以外は走るようにして,毎日30Km近くを走っている.今年は病気もあって不本意のシーズン終わったので,来年は挽回したい.
19日:忙しい時に限って,いろいろな問題が起きるものである.使っているコンピュータが相次いで故障.HDDを交換したり,システムをもう一度インストールしたりと無駄な時間を相当使ってしまった.風邪もひいてしまい,仕事をするのがつらい.しかし熱も出ないので,ランニングはそのまま続けている.最近体脂肪率を測定できる体重計をもらったので,測定してみた.身長170cm,52Kgで体脂肪率は5%.20台の陸上部でがんがんやっていた頃で体重は60Kgで体脂肪率8%だったから,さらに脂肪は減っている.もちろん筋肉量も減っているのだが,日々の節制の結果である.はたしてこの体型をこの先いつまで維持できるのか,試してみようと思っている.

12月
28日:今年もあっという間に終わってしまうような気がする.特に6月以降内科2人体制でやってきたので,息つく暇もない無我夢中の状態であった.最近になって,個人的な伝手で,複数の医師に応援に来てもらえるようになり,夜間や休日は休むことができるようになった.正月も仕事を始めてから初めてのことであるが,dutyを外してもらった.ゆっくり今年の疲れをとることとする.なかなか論文をまとめる時間もなかったので,この休みを使って一編は書き上げようとも思っている.今年は虫垂炎で生まれて初めて入院手術を経験し,退院後も長期に体調が戻らなかった.来年はこのようなことがないようにしたい.夏休みも結局3日しかとれていない.休もうと思うのだが,なかなか休むきっかけができない.休んでいても仕事が気になって仕方がないからである.また休んでも結局は論文を書いたりしているわけで,真の意味での休息日という日は,本当に数年とっていない気がする.これでは病気になると自分でも思う.もう年なので,少しは体のことも考えなければならないのだろうか.12月に入っても時間がなかなかとれず,天体撮影もできなかったが,先日数天体撮影できたので載せておく.
rosez.jpg(25492 byte) cone.jpg(26535 byte) IC405.jpg(31334 byte)
バラ星雲,コーン星雲,勾玉星雲である.忙しくてストレスがたまっても,撮影に行くと不思議と癒される.



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