2007年
1月
27日:あけましておめでとうございます.正月休みも明けて,患者が急速に増えてきている.入院も95人を超えて,病床稼働率は100%近い.ノロウイルスの胃腸炎が再び流行し,老健で集団発生している.新規入院を原則停止しているにもかかわらず,他の病院にお願いするのも忍びなく,こちらで見ている.自分も感染し,二日間発熱と下痢におそわれたが,精神力で仕事をこなし乗り切った.この間絶食していたので,体重はついに50Kgを切ってしまった.40Kg台の体重は小学生の頃以来だ.体力を元に戻すのには,長期かかるだろう.もちろん体力に関しては今の自分でも一般人からしてみれば遙かに充実していると思われるが,自分の納得できるような走りをこなすには,昨年の虫垂炎の時と同じように2ヶ月以上はかかるだろう.体調を早期に戻すべく,昨日は午前中少し病院で仕事をした後,22Kmのランニングを行い,その後スキーを履いて山を登り,さらにスケートをした.ほぼ一日中体を動かしていたが,やはり以前の体の感覚とはほど遠い状態である.こんな状態なので,なかなか撮影にも行けないのだが,先日氷点下15度の中の撮影で得られた成果を載せておく.
冬の定番,M42と馬頭星雲である.仕上がりはまだまだ完成とはいえないが,この一年で撮影のスキルは確実に上がっていると思う.ルーチンワークで手がいっぱいであるが,先日また商業誌の原稿執筆依頼を受けた.3月中が締め切りで,長文の原稿を仕上げなければいけない.今回の原稿依頼の資料を見ると,編集責任者が私を知っている先生で,おそらく自分に気を遣ってくれて,私を執筆者の末席に加えてくれたのだろう.私が田舎の病院で長期に働いていることで,くさっていないか心配してくれているのだと思う.私は決してくさってはいない.どこで働いても自分の能力が発揮できて,社会へ貢献できれば満足である.裏を返せば,自分がここにしがみつく意味も全くないわけであるが.いつも言っているとおり,自分が納得すれば,それがいつかはわからないが,新しい環境で仕事を始めることになるだろう.それまでは,今までどおり全力を挙げて仕事を続けることにはかわりはない.夕張は自治体破綻で非常に厳しい事態になっている.病院も170床もあったベッドを19床の診療所にするという.確か,第三者の検討で夕張には数十床の内科,整形外科を中心とする病院で存続することが,収支を考えても望ましいと報告されていたはずである.どうしてそうなったのか?夕張は人口は我が町と同じ程度である.先ほども言ったように家の病院は100床程度のベッドがあり,常に稼働率は90%程度をキープしている.夕張も同じ程度のベッドは必要なのではないか?外科をなくして,内科を中心とするにしても60床は必要と考えられるのだが.急性期の患者は周辺の病院にお願いしても,急性期の治療が終わった患者はどうなるのか?たとえば脳卒中で他の病院に入院して,寝たきり状態になったら,地元に受け入れ先がなければ患者は永遠に帰ってこられない.そうなれば高齢の家族も引っ越してしまうに違いない.ますます人口は減って自治体は破綻する.お金を引き締めることは重要だが,大事なところには十分に資金を投入しないと,本末転倒になってしまう.医療はライフラインである.夕張を他人のことと思わずに,この町も危機感を持って,今後をどうするか真剣に検討しなければいけないと思う.この町はお金は夕張よりはまだ余裕がありそうだが,医者がいないのである.いないのにいるのと同じ仕事を続けている.それを国は知っていながら放置している.診療報酬を下げて,こちらを応援するどころか足をひっぱってさえいるのである.何とかしないとこの町も夕張と同じように,町民の意向は全く無視され,ある日突然病院はベッドを閉鎖するということになりかねない.
2月
17日:昨年Journal of Gastroenterologyに掲載された私の論文が評価されて,第20回日本消化器病学会奨励賞に選ばれたと知らせが来た.大変名誉なことである.歴代の受賞者は大学の教授クラスの教官が大部分であり,私のような身分の者が受賞したことは過去にはないだろう.またこの論文は自分にとっても記念碑的な論文であった.それはこの論文がその仕事すべてを自分でまとめ上げた最初のものであったからである.研究のアイデア,実際の実験,データ整理まとめ,英語論文の執筆,すべて自力である.これまでは上司の指導のままに実験をしたり,英語も問題のあるところをネイティブスピーカーに点検してもっていた(今回は英文の手直しを含めてすべて自前である).さらに実験にはお金が必要なので,科学研究費を自分で獲得し,ヒトを使った実験なので倫理的な問題をクリアするため,大学の倫理委員会に実験計画を申請し許可を得たりと大変な労力が必要であった.大学院を卒業するときに,指導教官から医学博士を授与されたと言うことは,今後は自分一人で研究を計画して実行するライセンスをもらったということに過ぎないこと,その価値は今後の自分の行動にかかっているという言葉をもらい,それを忘れずに田舎の病院にいても常に科学的な視点を見失わずこれまでやってきた.それが報われた.非常に嬉しかった.4月に消化器病学会で表彰式が行われるので出席しなければいけない.名誉なことなので必ず出席しようと思っているが,私がいない期間の診療をどうするかが問題である.さらに良いことは続くもので,本日,今年の5月ワシントンで行われるアメリカ消化器病学会(AGA)で自分の研究が発表できることになった.昨年10月日本の学会に出席した時に感じた不満足感から,久しぶりにAGAで世界のトップレベルの学会で自分の仕事を発表し,discussionしたいという思いが強くなった.ダメ元で演題を応募していたのが,見事に採用された.この学会は演題が採用されることがまず非常に大変である.演題を応募するときには60ドルのお金がかかる.これは不採用になっても返金されないいわば検定料である.演題の内容は非常に厳密に点数化されて,あらかじめ決まった数の演題しか採用されることはない.田舎の一般病院の医師が過去AGAで発表したことはないだろう.AGAで世界の風に触れる.楽しみである.また留学先のlaboのみんなや教授とも学会で会えるし,期間中はUCLAの同窓会も催され,いろいろな人と談笑できる.学会は朝6時半くらいから夜10時まで様々なセッションが6日にわたり開催される.さてこの期間も病院を休まなければいけない.果たして可能であろうか?嬉しいのだがこの問題をどうクリアしたらよいかに頭を悩ませている.英語の勉強もまた少しまじめにやるかな?目的ができると語学の勉強も苦にならなくなる.
3月
11日:病院は応援の先生が複数来てくれているので,なんとが業務がこなせている.その点では楽なわけだが,この3月は副業が多すぎる.3月下旬に締め切りがある商業誌の依頼原稿,また同じ時期に締め切りがある日本消化器病学会の演題応募.まずこれらを終了させなければいけない.さらにほぼ書き上げている論文を投稿するのに最後の仕上げをしなければいけないが,なかなか手をつけられないでいる.それが終わったら,いよいよAGAの発表の準備である.渡米のための準備で旅行会社に電話したりと雑用もたくさんある.秘書が欲しいと真剣に思うこの頃である.
4月
25日:先週は消化器病学会の学会奨励賞の授賞式に出席するために青森へと行ってきた.受賞者は10人で,東大はじめとする大学病院に所属する人ばかりで(一人だけ虎ノ門病院の内科の先生がいたが,ここも肝臓の診療では日本一の施設),田舎の町立病院勤務の受賞者など,自分の他にはいなかった.おそらくこれまでの表彰者に私のような者はいないだろう.大学での研究は大抵は教授や上司の指導により行われるもので,それは論文の著者が一人ではなく共同著者が多数いることからもわかる.私は全て一人で,研究立案,実際の研究,データ整理,英文論文作成をこなしたのが今回の受賞論文である.
授賞式の時は,自分が実に格好良いと思えた.大学から野に下り,それでも高い理想を忘れず日々過ごしてきた結果がここに評価されたのである(だれも言ってくれないから自分で言ってしまった).大学にいる医師達に一泡吹かせたという実に痛快な気分であった.賞金30万円ももらってしまった.これは来月AGAでの発表のために,旅費に使わせてもらう.さて先日町長選挙が行われ,今回の候補者の争点はこの病院をこのまま町立で維持するのか,赤字が多いので民営化するのかというマニフェストで争われた.結局民営化を掲げた候補者が当選した.私の感想は一言,失笑である.この町はずっと前から私が訴えてきた医療の危機について未だに分かっていないのである.この地域は日本でも最も医師が少ない地域であり,当院でも常勤医師数がここ数年で減少して,危険な状態になっていることを知らないのだろうか?今の医師数の状況であっても診療を長期続けることは不可能な状態である.破綻に向かって進んでいるのである.北海道は小樽,根室,江別と都市の公立病院でも医師の離職が進み,閉鎖を余儀なくされているのは報道されているとおりである.どうしてそのことがもっと田舎で勤務を希望する人が少ないこの町には起こらないと思えるのか不思議である.この状況をふまえて,今後病院を続けるかどうかの議論をまずするのが筋である.的はずれの議論は不毛である.医師確保の得策なんて,どんな人間も語ることはできないのにこんなことを言うのは立場の弱い者をいじめているだけと思われるかもしれない.しかしこの町は本当に医師確保を積極的にしてきたのか?2年前の経緯を見ても私にはそう思えない.私の故郷足寄町は,10年以上前から医師確保に困り,町出身者で医学部に入学した者に町から奨学金を拠出し,卒後一定年数勤務してもらう契約を結び,現在は内科医1人,2年後にはもう1人が町で勤務開始することになっている.地道にやってきた活動が実を結んでいる.だいぶ前に町の方にはこのような方法もあると親切に教えてあげたが,いまだそのような条例ができたという話は聞いたことがない.2005年の12月以降,自分の思いは変わっていない.自分の生き方に照らし合わせて,自分が恥ずかしくないように生きること.これが自分のポリシーである.田舎の病院で勤務をしながら,世界を目指して論文を書き続ける.多忙で敬遠される地域医療を実践し,社会に貢献する.医師になっても走り続けて,体脂肪を極限までに切り詰め,体を鍛えてレースに望む.どれも医学部を卒業するとき,同僚や先輩から不可能と鼻で笑われたことばかりである.しかし自分はやっている.これからも変わらない.そして自分の能力がもっと発揮できる道があるなら,可能性を信じてそちらに進む.最後の思いは自分だけが特別というわけではなく,だれでも同じだろう.だからここの病院をいつ退職するかはわからない.2年前から常に町に伝えていることである.建設的な議論が議会で成されることを望む.きちんとした議論,政策が履行されていない自治体でないと,たとえ民間委託されようがされまいが,常勤医はおろか,今は応援してくれている医師達でさえ誰一人として働く希望を持つ人間はいなくなるだろう.
5月
3日:一時期入院患者が減ってきた時期があって助かっていたのだが,最近は外来をやると2-3人の入院はざらなった.極めて忙しい.先週の外来はなんと90人を朝8時半から13時半の間に診た.疲労困憊である.一人の患者の診療時間は実質2分程度であろう.それでも帰宅させて良い患者かどうかを最低限判断しなければいけないので,病院の検査ツールを最大限効率的に利用することでしかこの仕事をこなすことはできない.当院はmulti-slice CTが導入されているため,CTは極短時間で高解像度の画像が得られる.患者のほとんどが高齢者で,訴えを聞いても疾患に特徴的な症状を呈する症例は少なく,この前は頭が痛いといって来院した患者が虫垂炎で緊急手術となったこともある.総合診療部出身の自分が言うべきことではないのであるが,こんな時は検査をして患者が言おうとしていることを知るというアプローチをとらざるを得ない.こんな状況であるから,自分はどれ程外来が混んでいても,急性期症状(発熱,腹痛など)を訴えている患者に対して,その外来中に検査,評価をせずに後日に引き延ばすようなことはしない.怖くてできないといった方が正しい.ただ薬を出すだけなら午前中に90人診るのは楽勝である.しかしそんな診療スタイルでは,当院では医療過誤で死に至る人が多数出るだろう.授賞式出席のため,ただの一日外来を休んだだけで,次の外来はこんなに混むので,仕事を休んだ後が非常に厳しい.夏休みにしても同じことであり,休んでも自分の仕事を他人がしてくれるわけではないので,休むに休めないというのが今の状況である.応援の先生が最近は複数来てくれることになり,助けてもらっているが,どんなに応援を受けても実際自分の仕事量は変わらない.だから,応援の先生には当直などを担当してもらって,その間に極力自分が休むようにしている.それでなんとか続いているのである.しかしAGAの発表の準備や,投稿していた論文の書き直しなどの仕事が山積みしているので,休息することなく夜も内職を続けざるを得ない.厳しい状況が続く.
6月
3日:AGAで発表のため,渡米して帰国後一週間である.AGAやWashington DCへの旅の様子については,後日報告することとして,とりあえず無事発表が終わった事を報告しておく.
AGAではUCLA留学時代の仲間と久しぶりにゆっくりと話をすることができたし,教授とも会うことができた.世界の研究者と気軽にdiscussionすることもできて,非常に満足であった.日本の学会のポスターセッションは,座長がいて討論を仕切られてしまうが,AGAは適宜研究者が自分のブースにやってきては質問と討論を繰り返すという方式で,質問する方も答える方も実に気楽で,実際的な話し合いができるので非常によい.8年ぶりにAGAで発表することになったが,このステージに再び立つことができたということに対して感慨深いものがあった.さて帰国後も本来の仕事は相変わらず忙しく,入院患者も徐々に増加している.もう限界である.そして今度は6月下旬に旭川での研究会の発表のための準備を開始している.前から時間がないのでと何度か断っていたのだが,今回は自分の都合に研究会の開催日を合わせるからと言われて,ついに発表を受けることにした.今回は日本語での発表で一般医家向けの内容でお願いすると言うことになっている.それ故,presentationを日本語を使って作り直さなければいけないし,内容も大幅に考えなければいけない.さらに発表時間は50分である.アメリカから帰ってきて,疲労のため風邪をひいている.仕事も忙しくて休息がとれていない.さらに論文の書き直しという仕事も並立してやらなければいけない.今年の春は本当にいつにもまして多忙を極めている.
29日:先週はこの春の一連の講演発表シリーズの最後の講演で,旭川に行ってきた.旭川は大学,大学院と10年間住んでいたのだが,卒後はほとんど行ったことがなかった.講演には研修病院の指導医や,旭川で仕事をしている先輩,同僚もわざわざ顔を出してくれて,とても嬉しかった.発表翌日は,レース出場のため自宅に帰らず移動.ハーフマラソンに出場した.1時間24分30秒の悪い記録で6位.前半を押さえすぎて,後半は飛ばしたのだが時すでに遅しと言うレースで,不満足感が残った.やはりいくら厳しい練習をしていても,年をとると体力が落ちていくのが実感される.悲しいがこれが現実で常識である.しかし,自分はこの常識に逆らうのを信条としているので,レース終了の瞬間から,次のレースのためにいかなる練習をすればよいかと考えている.今回は久しぶりのレースで,まだスピード感覚が全く戻っておらずペースが解らなかった.これからも老化に精一杯抵抗してやろうと思う.これでやっと少し休めると言うところなのだが,内科学会からの仕事である,認定医の申請書類の添削や,論文の書き直し,再投稿など仕事が目白押しだ.AGAで勉強したことをまとめたいと思っても,なかなかそこまで手がまわらない.忙しいので,消化器病学会からもらった賞金で,自分に対しての褒美に何か買おうとさえ考える暇がない.
7月
4日:先日のレースで不甲斐ない結果に終わったため,新たな目標と戦略をたてて練習に臨んでいる.ただしこんな厳しい練習は44歳の自分にとっては寿命を縮めているような気さえする.それでも練習後の気分は,若い頃陸上部の仲間と競い合うように走っていた頃を思い出させるような,何ともいえぬ充実感が得られる.
先日執筆依頼を受けていた雑誌が発行された.医師向けの雑誌で,内容は専門的であるが興味があれば書店で手にとって見て欲しい.本日日本消化器病学会から連絡があり,10月に神戸で行われるJapanDDWで,応募していた演題が採択されシンポジウムで発表できることになった.シンポジストに選ばれるのはごく少数であり名誉なことであるが,今回の発表は現在書いている論文の内容で,今までの自分の専門領域とは全く別物である.素人がこのシンポジウムで発表しても良いものだろうか?少し心配である.
8月
26日:8月上旬に夏休みを3日とった.これぐらいの休日をとるのが限界である.休んだからと言っても,私の仕事をかわりに誰かがしてくれるわけではないから,休めば休むほど休日明けの仕事はきつくなる.だから私は休日が嫌いである.私の息子は今年で中学一年になったが,陸上競技を始めた.そのため,最近は一緒に練習をすることが多くなった.もちろん,今は100mから長距離まですべてにおいて自分が負けることはなく,練習の量,質ともに自分が上回っている.しかし子供の成長は恐ろしく,1500mで早くも5分を切るほどにまで早くなっているので,スピード練習をせずにマラソンの練習ばかりをしていたら,この距離では来年には負けるかもしれない.そうならないよう,いつまでも大きな壁として息子の前に立ちはだかれるよう,日々練習に励んでいる.夏休みは,子供と陸上の練習をしたのみで終わってしまった.最近の練習量,質はここ数年にないくらいのレベルになっている.秋のレースでは力が発揮できると思う.仕事,副職(論文作成や学会発表)はあいかわらず忙しく,時間のやりくりが大変である.天気も悪いために天体撮影もあまりできていないが,先日二晩に渡って撮影できたので,ここに載せておく.初めてモザイク撮影(複数の写野をずらして撮影して後で合成すること)を行った北アメリカ星雲とペリカン星雲である.まずまずのできである.
真にリラックスして休むということを最近経験していない.こんな状態が数年続いていても生きているので,今の生活でも悪くはないのだろう.自分がどれだけ休養が必要かは自分で判断するもので,他人がどれだけ休んでいるかは関係ないことだと自分に言い聞かせている.
9月
16日:9月の第1日ように10Kmのレースがあり,37分37秒(5kmごとのラップは19分2秒,18分34秒)とまずまずのペースで走ることができた.ベストは34分台だが,この記録は自分が34歳頃の記録に匹敵する.この一年の練習の成果を実感できた.本日はハーフマラソンのレースがあった.記録は1時間19分48秒でなんと優勝.またこのレースには招待選手としてエリック・ワイナイナが出場しており,最後まで一緒について走ることができた.陸上競技を続けていて本当に良かったと思える瞬間であった.レースの詳細はここにあります.
29日:レースの後,風邪をひいて体調不良が続いている.1週後に今年のメインレースがあるのに,調子がよいときにはいつもこんな具合になる.先週の3連休はこのマラソンレースに対する最後の鍛練期の練習として,25-30Kmのペース走を三日連続で行いまずまずの記録で走ることができたが,翌日から風邪をひいて今週はほとんど練習ができなかった.しかしいつもならこの段階で次のレースに対する不安とあきらめの気持ちが強くなるが,これまで十分すぎるほど練習してきた今回は,休養がかえって良い結果を生むのではないかとさえ考えるようになっている.今日は久しぶりに23Kmを走った.走った後はやはり風邪の影響で寝込むほど体力を消耗していた.それでも焦りはない.風邪をひいたのも自分の未熟の故である.プロのアスリートは体調管理をするのは容易だが,こちらは仕事をしながら,寝不足とも戦いながら日々練習をしている.疲労がたまれば風邪もひく.5月に投稿していた論文が,先日英文誌にacceptされた.今回の仕事はこの田舎の病院で自分一人ですべて行った臨床研究である.これまでの論文はすべて大学にいたときの仕事をまとめたものであった.そういう意味で,田舎にいてもきちんと仕事ができることを世に示す,画期的なものであると自画自賛している.今回の論文はここまでたどり着くまで大変であった.2回の書き直しを命じられ,途中AGA出席のため渡米したりと多忙な中,なんとかここにたどり着いた.臨床研究は統計が大変である.動物実験の統計は単純で困ったことはなかったが,今回ははじめてロジスティック回帰分析という統計手法を使ったため,最後には論文のレフリーに統計学者が出てきて,意味不明な統計用語を持ち出して計算をやり直せと指摘された.もちろんやりとりは英語だから,さらに難解であった.丸2日,インターネットを駆使して寝る時間も惜しんでまずはレフリーの言っている意味を理解するように努めた.やっと意味が理解できたが,今度はその計算を行う手段がない.手計算などできるはずもない.昔使っていた統計ソフトを引っ張り出してきて,ダメ元でやってみると,なんと幸運なことにできることが判明.一気に論文を書き直した.最後はレフリーからの注文は全くなく,めでたくacceptとなった.こんなに苦労した論文はこれまでなく,思い出深い仕事になった.途中であきらめそうになったが,これも産みの苦しみだと思って,また後輩達に地域医療をしながらこんな仕事もできることを示すために全力を尽くした.このメッセージが若い医師達に届くことを信じている.多忙であるが,精神的な安静をとるために天体撮影も続けている.
広角レンズで狙った天の川とIC1805である.時間がとれれば,一晩中様々な対象を狙って撮影をしたいが,今の仕事をしている限りは無理なようだ.
10月
15日:先週は,フルマラソンのレースがあり出場してきた.風邪をひいて右足の股関節の痛みも回復しないまま,レースに臨まなければならなかったが,3時間10分1秒というまずまずのタイムで完走できた.今年のこれまでの調子からすれば不満足なタイムではあるが,その時点で全力を尽くしたので良しとしよう.今年は11月にハーフマラソンをもう1レース走る予定である.レースから1週しか経っていないのに,この週末はすでに25-30Kmを走っている.股関節は痛むが,レースのダメージはない.今週は消化器病学会で神戸に行く.発表は金曜日で,水曜日の午前中まで仕事をしてから出発する.シンポジウムの発表で,会場は1000席以上のキャパシティーがある.今回のテーマは自分のこれまでの専門分野ではないもので,果たしてこんな席で自分が発表しても良いものかと不安になっている.しかし,この発表は先日acceptされた論文の内容そのものなので,内容は雑誌のレフリーに十分チェックされているので,その点では安心しているのだが.しかしランニング,仕事を続けながらの発表の用意は厳しい.出発直前までスライドの手直しをすることになりそうだ.
26日:神戸の学会は,自分の発表したシンポジウムは1100人収容の大きな会場で行われ,素人の自分がこんな席で発表するのもどうかと思いながらも,なんとか無難にこなせた.逆に今回の研究領域が素人の自分にとって,他の演者の発表は興味深く勉強になった.帰宅後少し本業のみに専念して副業は休業して,夜は休息しようかと思っていたら,先日acceptされた論文のproofが早くも送られてきて,早急に間違いがないかチェックして送り返さなければいけなくなった.当直の合間にこの仕事を行い,やっと終わったかと思ったら,今度は投稿していた別の論文がごく一部の訂正でacceptするという連絡があり,こちらもすぐに書き直して送りなさいという指示だ.論文がもう一本掲載されると言うことで嬉しいことだが,少しは休ませて欲しい気分である.この論文は症例報告で,短い論文であるが,実に丸2日で書き上げたものである.(コストパフォーマンス最高)ということで今年は論文が3本publishされそうであり,productiveな年であった(というかまだ終わっていないが).学会からも賞を頂いたし,やっとここで自分に褒美を与えるという意味で,canonのプロ用デジタル一眼レフ,EOS1DMarkIIIを買ってしまった.高い買い物であったが,今まで使っていたカメラがおもちゃに見えるほど,すばらしいカメラだ.これで手持ちのデジタル一眼レフが4台になってしまったので,古いカメラを一台,天体写真専用とするため,業者に頼んで改造に出すことにした.天体写真も月に1-2日の頻度で撮影しているが,今は忙しくて画像処理もできず,rawのまま画像が眠っている.一日の時間がもう少し自分に与えられればと痛感する.休息が必要だ.夏休みも3日しか消化していない.休もう休もうと思っているが,休まずにここまでずるずる来てしまった.もう夏どころか冬になっている.
11月
11日:先週は今シーズン最後のレースでハーフマラソンに出場してきた.記録は平凡であるが3位入賞で,最後を飾った.非常に坂が多いコースで,一週間経った今でもまだ大腿部の筋肉痛がある.これからは来シーズンに向けての冬期練習となる.今年のレースで課題となったことを反省して,それを改善するようにこの期間トレーニングを積むことになる.最近寝不足と疲労がたまって体調不良であるが,週末は2日で50Kmを走った.年々年をとって体力は低下するので,それに逆らって記録を維持,伸ばすには今までしていなかった練習を加えなければならない.これまでも毎年そうしてきた.そして今年はそれが実を結んだ.さて学会も終わったので,星を眺める機会が少し増えた.今はHolmes彗星が大バーストを起こして,肉眼で見えるまでに増光している.
写真は11/10のこの彗星である.望遠鏡を通してこの姿を見ると,鳥肌が立つように神秘的で感動する.音さえ聞こえてきそうな気がする.昨日はこのほかにカリフォルニア星雲(NGC1499)を撮影した.風が強く条件が悪かったが,10分露出の3枚コンポジットでさらに3枚モザイクという大作である.しかし,今回のモザイクと以前撮影した一枚取りの写真と比較してなめらかさに大差がないようで,苦労が多いが得るところが少なかった.空の条件が悪いせいであろう.
改造に出した天体専用カメラが納品されるのが待ち遠しい.手に入ったら,今年の冬は赤い散光星雲を一網打尽だ.
12月
15日:相変わらず忙しい.地方に勤務医が大幅に不足して社会問題化しているのは国は理解しているはずなのだが,地方の自治体病院に不利になるような診療報酬の改訂,あるいはころころ変わる福祉制度のためにくだらない書類を大量に書かされたりと,我々を援助するどころか足を引っ張るようなことばかりしている.都市と地方の医療を同率に考えてはいけない.また医師が少ない地域では,くだらない書類など,極力医師に無駄な雑用を与えずに,せめて純粋に医療に専念できるような環境をつくれといいたい.法律が変わったから,新しい業務を請け負わなければいけないというのなら,こちらも法律通り,医師数をきちんと充足させろと言わざるを得ない.もともと一人で見てはいけない数の患者を管理していること自体がすでに法律違反で問題なのである.国も自治体もそのことを最低理解していないと,このような環境で働く医師は直ちに辞職するだろう.自分も以前の一連の町の対応の悪さから,いつ辞職するかは法律通り町の方に1ヶ月前には連絡すると伝えてある.それがいつかはわからない.1ヶ月後かもしれない.しかしそんな危機感を持っている町の人間はいるのだろうか?
改造デジカメが納品された.試写してみると,評判通り赤い星雲が良く写る.
赤い星雲だけではなくて,青いすばる,ホームズ彗星も良く写る.
この冬は,寒さに負けずに出動して,すばらしい作品を撮影しようと思っている.シーズンオフになってから,今は鍛練期でスピードは押さえて,とにかく長い距離を走ることにしている.今週は190Km以上を走っている.来シーズンに向けて準備に怠りはない.しかしいくら練習しても老いには勝てないことは分かっている.それでも努力で今シーズンのように20代の記録を出すことも可能なわけで,そんなことがあるからがんばってみようと思えるのである.
30日:2007年もいよいよ終わりである.今年を振り返ってみると,いろいろな成果が目に見えるような形で得られたので,良い年であったのだろう.論文は2本acceptされ,消化器病学会奨励賞の受賞,AGAで発表,JapanDDWでシンポジストとして発表.陸上はハーフマラソンで久しぶりに1時間19分台で優勝.これらは全て,高い向上心を持ち続けて努力してきた結果だ.年末年始は少しゆっくり休息をとりたいと思っているが,いろいろな意味でそれは無理になりそうである.年明け後は2-3日実家に帰省する予定で,家族サービスのために長時間車を運転しなければならない.それまでは病院で仕事で,さらにトレーニングはいつでも続けなければならず休むことはない(というか,休日はさらにトレーニング量が増える).病院の仕事はますます忙しく,先週の外来はついに午前中で80人を診察する新記録.疲労困憊である.こんな生活は長くは続かないと実感している.当院は応援してくれる複数の非常勤医に助けられながら,今年をなんとか乗り越えることができた.この場を借りて,応援していただいている皆さんに深く感謝したい.どうもありがとうございました.さて来年はどんな年になるのだろうか?それでは皆さん,良いお年を.
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