ずるくて、こすくて、情けないもの。それが大人の男なのです
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いやあ、久方の海外です。日本語が通じません、そのうえ英語も通じません。どうしたことでしょう? カナダってフランス語以外は駄目なのでしょうか? それとも私の英語が駄目なのでしょうか! |
海外旅行: 初めての人にとっては嬉しいことの方が多い旅行。初めてみたいな人には悲しいことの方が多い旅行。何時までもなれないという人にとっては恥ずかしいことの方が多い旅行。もう飽きたという人には得ることのない旅行。初心者と飛行機に乗り合わせてしまった人には苦痛以外のなにものでもないという旅行。 海外にアクセントをつけて話す人を一般に初心者と呼び、旅行にアクセントをつけて話す人は一様に「ええかっこしい」と呼ばれてます。どちらも「おのぼりさん」という意味では同じと考えられます |
Japan, sightseeing, one weekの3つで事足りると昔読んだ本には書いてあったはずなのに… どうしてbusinessだと仕事の内容や連れの有無まで聞かれなきゃいけないんだろう。どうしてこんなかんたんな事にあれほどの時間をかけないといけないんだろう? 不思議だ! |
入国審査: 審査である。あくまでも怪しい人間を排除することが目的である。この特異なモンゴリアンの風貌に不可思議なオリエンタルスマイルが怪しそうに見えるのだろうか。とても危険人物には見えない。それは私自身、出国前に何度も確認済みのことである。 もちろん日本でこんな表情を浮かべていたら怪しいうえに卑しいと言われるかもしれない。しかしここはカナダである。いや、どこであってもいい、問題は日本ではないということだ。 意地悪をしないで顔パスで通すことはそれほど間違ったことではないと断言できる |
解散総選挙です。解散と総選挙はこの国ではペアなのです。いえ、他の国のことは知りません。 なぜか「万歳!」なのです。身分の保証がなくなるのが嬉しい人はいないので、多分ヤケクソなんでしょう。 もしかしたら「反対!」って言ってるんでしょうかね |
解散: 遠足の終わりは「気をつけて帰るように」そして「解散」だった。小学生は「万歳」はしない。 宴会の終わりは「後は適当に」そして「解散」だった。一部の酔っ払いは「万歳」をすることがある、忘年会とか送別会とか物悲しい雰囲気が漂うとその傾向が強くなる。 国会の終わりは「必ず戻ってくるぞ」そして「解散」だ。殆どの酔っぱらいが「万歳」をする。国政に酔い愛国に酔い名誉に酔う人たちがいる。権力に酔い地位に酔い金銭に酔う人たちがいる。何に酔おうと本人の勝手ではあるが「酒は飲むもので飲まれるものではない」。酔って「万歳」を叫ぶ輩は2次会に連れていってもらえないことがあることを知るべきである |
国民の審判が下る、ことがあるかもしれない。なにかのはずみでそうなるかもしれない。ひょんなことでえらいことになるかもしれない。まっ、それでも大概は驚くようなことは起きない。世の中はそう出来ているからである |
審判: 野球ではルールブックといわれる審判の骨を折る事は別に珍しいことではない。犯罪にも問われない。大相撲では行司さし違いは切腹、そのための脇差しだとうわさされるが寡聞にしてそういった事態は聞いたことがない。国会の議長は強行採決のおりには野党にもみくちゃにされる。 これらから容易に判断できることは、人間の下す判断は常に間違いである、という法則に従えば原理原則よりも現実的対処を優先させることのほうがより重要である、ということだ。 さらに国民の審判が間違いであることは、選ばれた代議士を見れば簡単に分かる。選ばれた代議士自身もそう思っているに違いない。しかし、選挙制度を見直すよりは現状制度を維持する方がより現実的対処だ、少なくとも為政者はそう思っている、というのが私の確信である |
農民は自民党の支持者、ではなかった。侍の侍のための侍の政治、それが亀井流保守政治だったのだ。まっ、そんなことで一々驚く人はもういないでしょうが |
百姓: 自然とともに生き、自然を生業とするという意味で「百姓」を自ら名乗る人がいる。「水飲み百姓」の言葉にあるさげすみを忌み嫌い人がいる。言葉の意味は立場、時代でいかようにもなるということである。 しかし、過去の喧嘩にこだわる人、という意味は初めて知った。言葉の意味は勝手に作れるということである。 政治家は言葉を語る人であり、言葉を規定する人であり、言葉を作る人である。言葉を愚弄する人を政治家とは呼ばない。ちなみに日本では政治家とは権威に弱い人、権力にあこがれる人、権利にめざとい人の意味がある |
サラリーマンは自民党の支持者ではない、ことは知っていた。自営業者も自民党の支持者、ではなかった。繰り返しになるが、そんなことで一々驚く人はもういないでしょうが |
町人: 町人の娘は時代劇ではあまりいい目に合わない。悔し涙を流すことが多い。亀井静香代官には逆らえないのだから。ついでに言えば息子もいい目に合ってはいないが、劇にはあまり登場しない。 シナリオが悪いのは自作自演だから、キャスティングが悪いのも自作自演だからである(品のない顔、という意味では「悪代官」や「越後屋」に違和感はない)。 つまらない芝居に付き合っている観客に文句を言う■があるかは判断に悩むところである。政治に▲しない能天気な観客は、芝居鑑賞はあくまで無料と信じている愚かな人である |
97.「過半数」の法則
数は力である。結果が全てである。それが政治の世界である、などと威張ることはない。世の中全てそういうものである |
過半数: 世の中の決まりごとの殆どは過半数を持って承認される。それが戦後の主要国でのルールである。世界共通となっていないのは不完全なルールであるうえに、人と同じ生き方をすのが嫌いな人々が多いからである。 過半数は主に「自分たちに有利である」という単純な理由から選択されている。「自分たち」というのは時々の権力者、ルールに守られる階級といったものを指す。 当たり前のことであるが、ルールを決める人は「自らを守るためにルールを制定する」という癖がある。単なる癖で陰謀と騒ぎ立てる筋合いのものではない。怒るよりルールを決める人になるほうが効率がよい |
絶対多数、安定多数、絶対安定多数。言葉は違えども腕力で政治を行うのに必要な数という本質は変わらない |
多数: 最大多数の最大幸福の希求が政治である、という言い方がある。正しくはないが、嘘でもない。世の中に正しいことは殆ど存在しないことから考えて正しい、正しくないにはそれほど大きな意味はない。 嘘かどうかもさして重要なことではない。政治の世界ではままあることである、驚いてはいけない。 問題は多数の負担による少数の優遇という現実であり、負担の多数から優遇の少数への転進という脱出願望の根深さである。競争が激しく筆者も今だ脱出に成功していない。仕様がなくこのHPで憂さを晴らしている。 多数に価値があるという迷信は20世紀に捨てていきたいものである、と自戒を込めて呟いてみる |
企業救済に税金を使うのはけしからん! は建前。政府に相談無しなのはけしからん! が本音。いえ、もっと単純「何故オレに相談せん」程度のこと |
白紙に戻す: なかったことにするという意味では「振りだしに戻る」と大差がない、2度とサイコロを振らせてもらえないという意味では歴然とした差がある、その意味では死刑宣告と同じである。一度、「借金はチャラにしてやる」と言っておいてから、やっぱり「自分でやりなさい」と言うだけで「自主再建」出来るほど「不良債権」は甘くはない。それで済む甘い世界は政治の世界だけである。 企業の存続が電話の一本で決まってしまうという不可思議は、男の愚かさを、「白紙に戻された」だけで倒産してしまう企業の脆弱さは、大人の世界の儚さを如実に表した。 カウンターをリセットするようにはいかない、とキモに命じるべきである |
祝! 2年で100法則。私はエライ! ああ、どうぞこの絶頂感が永遠に続きますように ついに三桁に突入である。旧「大人の男の法則」は美意識で法則99で終了させたが、こちらはまだまだ続くのである |
三桁: 苦労は報われなければ苦悩でしかない。努力は実らなければ無力でしかない。才能は示せなければ煩悩でしかない。全て合わせると苦汁であり苦痛であり、悲痛であり悲劇である。しんどいことを強調することで三桁突入の感激をより味わうのが大人の知恵である。 二桁から三桁へのステップアップには「1」増加するだけで事足りる。しかしその瞬間のために99もの階段を上りつづけなければならない。三桁から四桁へのステップアップでさえわずか「1」の増加でしかない。しかし、そのためには999もの階段を上らなければならない。この点を考慮すると「四桁の法則」を解説する機会が訪れる確率はかなり低いものと判断できる。 続けるために必要なものは雑音を無視する勇気と不評に目をつぶる賢さである。この二つがあれば世間の評判、評価によりコーナーを閉鎖する憂き目にあわない、必要も感じないで生きていける |
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