原理講論試験
総序
復帰基台摂理時代
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参照:原理講論 復帰基台摂理時代
()内の数字は原理講論のページを示す。 1、何故、アダムは中心人物として立てられなかったのかその理由を二つ説明せよ。(290-291, 298-299) 創造原理によれば、人間は本来、一人の主人にのみ対応するように創造された。それ故、二人の主人に対応する立場に立っている存在を相手にして、創造原理的な摂理を行うことは出来ない。もし神が、アダムとその供えものに対応しようとすれば、サタンもまた、アダムと血縁関係があるのを条件として、アダムと対応しようとするのは言うまでもないことである。そうなると、結局アダムは、神とサタンという二人の主人に対応するという非原理的な立場に立つようになる。神はこのような非原理的な摂理をなさることは出来ないので、善悪二つの性稟の母胎となったアダムを、善性稟的な存在と、悪性稟的な存在との二つに分立する摂理をなさらなければならなかったのである。(簡潔にまとめれば、アダムが献祭すれば、その供え物には、神とサタンという二人の主人が対応するようになり、非原理的立場に立つようになる。) 堕落したアダムは、事実上、神の心情に対して千秋万代にわたって消えることのない悲しみを刻み込んだ罪悪の張本人であった。それゆえに、彼は、神が直接に対応して復帰摂理をされる心情的な対象となることができなかった。 2、アベルが善の表示体、カインが悪の表示体に分立された理由を説明せよ。(291-294) 第一に、カインとアベルはどちらもエバの不倫の愛の実である。したがって、エバを中心として結んだ二つの型の不倫な愛の行為を条件として、それぞれの立場を二個体に分けもたすべくカインとアベルを、各々異なる二つの表示的立場に立てるよりほかに摂理のしようがなかった。すなわち、カインは愛の初めのみであるので、その最初のつまずきであった天理長との愛による堕落行為を表徴する悪の表示体として、サタンと相対する立場に立てられたのであり、アベルは愛の二番目の実であるが故に、その二番目の過ちであったアダムとの愛による堕落行為を表徴する善の表示体として、神と対応することが出来る立場に立てられたのである。 第二に、神が創造された原理の世界を、サタンが先に占有したので、神に先立って、サタンが先に非原理的な立場からその原理型の世界を作っていくようになった。そうして、元来、神は長子を立てて、長子にその嗣業を継承させようとなさった原理的な基準があるので、サタンも、二番目のものよりも、最初のものに対する未練が一層大きかった。また事実サタンは、そのとき、既に被造世界を占有する立場にあったので、未練の一層大きかった長子カインを先にとろうとした。したがって、神はサタンが未練を持って対応するカインよりも、アベルと対応することを選び給うたのである。 3、カインの供え物が神に受け取られる為にカインはどのような条件を立てなければならないか?(294-296) カインが立てなければならなかった条件は「堕落性を脱ぐための蕩減条件」であったが、それは、蕩減復帰原理により、以下に示すような堕落性本性を持つようになった経路と反対の経路を辿ることによって、蕩減条件を立てなければならなかった。 第一に、天使長が、神の愛をより多く受けていたアダムを愛することが出来なかったことによって堕落したので、「神と同じ立場を取れない堕落性」が生じた。それゆえに、この堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを愛して、神の立場にあるのと同じ立場をとるべきであった。 第二に、天使長が、神に最も近かったアダムを仲保に立て、彼を通じて神の愛を受けようとはせず、かえって、アダムの位置を奪おうとして堕落してしまったので、「自己の位置を離れる堕落性」が生じた。ゆえに、この堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインが、アダムの立場にいるアベルを仲保として、彼を通じて神の愛を受ける立場をとることにより、自分の位置を守るべきであったのである。 第三に、天使長は自分を主管すべく作られた人間、すなわちアダムとエバを逆に主管して堕落したので、「主管性を転倒する堕落性」が生じた。従って、人間がこの堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルに従順に屈服して、彼の主管を受ける立場に立つことによって、主管性を正しく立てるべきであったのである。 第四に、善悪の果を取って食べるなという善のみ言葉を、神はアダムに伝え、アダムはこれをエバに伝え、エバは天使長に伝えて、善を繁殖すべきであった。しかるにこれとは反対に、天使長は取って食べても良いという不義の言葉をエバに伝え、エバはそれをアダムに伝えて堕落したので、「罪を繁殖する堕落性」が生じた。ゆえに、この堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインが、自分よりも神の前に近く立っているアベルの相対となる立場をとり、アベルから善のみ言葉を伝え受けて、善を繁殖する立場に立つべきであったのである。 4、象徴献祭と実体献祭の意義を述べよ。(297-300) 万物をもって「象徴献祭」をささげる第一の目的は、神の象徴的実体対象である万物を復帰するための蕩減条件を立てるところにあり、第二の目的は、実体人間を神の方に復帰する為の、象徴的な蕩減条件を立てようとするところにある。「実体献祭」は、実体人間を復帰するために、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることを意味する。そして、カイン的な存在がアベル的な存在を実体として献祭し、子女を復帰するための蕩減条件と父母を復帰するための蕩減条件を同時に立てることを意味する。 5、アダム家庭の摂理における教訓を述べよ。(301-302) 第一に、み旨成就に対する神の予定と人間の責任分担に対して、神がどのような態度をとられるかを見せてくれた。元来、み旨成就に対する神の予定は、必ず、神の責任分担と人間の責任分担とが合わさり一つになって初めて完成できるようになっている。それゆえに、カインがアベルを通して献祭するということは、彼らの責任分担に当たるものであって、神は彼らに、どのように献祭すべきかという点に関しては教示なさることが出来なかった。 第二に、み旨に対する神の予定は絶対的であり、人間に対するその予定は相対的であることを見せて下さった。神はその責任分担に対して、アベルが自分自身の責任分担を完遂して、初めて彼らが「実体献祭」の中心人物となるように予定されたのである。故に、アベルがその責任分担を完遂できない立場に立ちいたったとき、神は、彼の身代わりとしてセツ立てて、絶対的なものとして予定されているみ旨を、引き続き摂理していかれた。 第三に、カインとアベルの献祭で、堕落人間は常にアベル的な存在を求め、彼に従順に屈服することによって、はじめて天が要求するみ旨を、自分も知らないうちに成し遂げていくということを見せて下さった。又、アダムの家庭を中心とする復帰摂理は、今日の我々にとっても典型的な生きた教訓となる。 6、ノアの箱船の意義について説明せよ。(305) ノアがアダムの身代わりとして、第二の人間始祖の立場に立つためには、アダムの堕落によってサタンの側に奪われた天宙を、蕩減復帰するための条件を立てなければならない。従って、新天宙を象徴する何らかの条件物を供えものとして、神の前にみ意にかなうように捧げなければならなかったのである。このような条件物として立てられたのが、すなわち箱船であった。箱船は三層に分けて作られたが、その理由は、三段階の成長期間を通して創造された天宙を象徴するためであった。また、箱船に入ったノアの家族が8人であったのは、ノアがアダムの身代わりの立場であったので、既にサタンの側に奪われたアダムの家族の8人家族を蕩減復帰するためであった。箱船は天宙を象徴するので、その中に主人として入ったノアは神を象徴し、彼の家族は全人類を象徴し、その中に入っている動物は、万物世界全体を象徴したのであった。 創造原理によれば、人間は一人の主人に対応するように創造されたので、淫乱に陥って、既にサタンと対応している人類を、神がもう一人の主人の立場で対応して、非原理的な摂理をなさることは出来なかった。ゆえに、神だけが対応して摂理することのできる対象を立てるために、サタンの相対となっている全人類を滅ぼす洪水審判の摂理をなさったのである。 8、審判40数の理由を説明せよ。(306) 十数は帰一数である。故に、神がアダム以後10代目にノアを選び立てた目的は、アダムを中心として完成できなかったみ旨を、ノアを中心に蕩減復帰して、神の方へ再び帰一させるための、10数復帰の蕩減期間を立てようとなさったところにあったのである。ゆえに、神は四位基台の目的を完成するために、4数復帰の蕩減期間として、各代を立てる摂理を、ノアにいたるまで10代にわたって続けてこられたのである。したがって、アダムからノアまでの期間は、40数を復帰するための蕩減期間であった。しかるに、当時の人間達の淫乱によって、この40数蕩減期間がサタンの侵入を受けたので、神はノアの箱船を中心として、四位基台を完成する摂理を再びなさるため、サタンの侵入を受けたこの40数を復帰する蕩減期間として40日審判期間を立てて、「信仰基台」を復帰しようとされたのである。 9、ノアは何故裸で眠ったのか、またそれを恥ずかしく思ったハムの行為は何故罪となったのか?(311-313) 箱船は天宙を象徴するものであるから、審判40日で箱船を神のみ旨の中で立てた直後に生じた全ての事実は、天宙創造以後に生ずる全ての事実を象徴したものであるので、40日審判が終わった直後のノアの立場は、天地創造後のアダムの立場と同様なのである。従って、ここで神はノアが裸でいても、その家族達がそれを見て恥ずかしがらず、また隠れようともしない姿を眺めることによって、かつて彼らが罪を犯す前に、どこを覆い隠すでもなく、ありのままに裸体を現していた、汚れのない人間の姿をごらんになって、喜びを満喫されたその心情を蕩減復帰しようとされたのである。神はこのようなみ意を完成なさるため、ノアを裸で寝ているように仕組まれたのである。したがって、ハムも、神と同じ立場から、神と同じ心情をもって、なんら恥ずかしがることなく、ノアと対したならば、ノアと一体不可分のこの摂理の中で、罪を犯す前、恥ずかしさを知らなかったアダムの家庭の立場に復帰する蕩減条件を立てることが出来たはずなのである。しかし、ノアの子らは、これと反対に、その父親の裸を恥ずかしく思ってこれを着物で覆ったので、彼らは、堕落後のアダムの家庭と同様に、サタンと血縁関係を結んだ恥ずかしい体となり、神の前にでることが出来ないという事実を、自称する立場に立つようになったのである。故に、ハムがその父親の裸体を恥ずかしがった行動によって、サタンが侵入できる条件が成立したので、その行動は犯罪となったのである。このような事情から、ハムは「実体献祭」をするためのアベルの立場を蕩減復帰できず、したがって、「実体基台」を作ることが出来なかったので、ノアを中心とする復帰摂理も無為に帰したのである。 10、ノア家庭の教訓(314-315) 第一に、神への道を歩むに当たっては、どこまでも謙虚と従順と忍耐の心がなければならないと言うことを見せて下さっている。ハムはたとえ、ノアが裸になって寝ているのを自分では良くないことだと思ったとしても、(かつての箱船の建造の場合のように、ここには何か深いわけがあるのだということを賢明に悟って、分からずとも)あくまでそれを良いこととして見なければならなかったのである。しかしハムは、自己を中心として(自己の基準で)天の側に立っているノアを批判し、またそのことを行動に表したので、神がアダムから1600年も待って、40日洪水審判を行使して立てられたノアの家庭を中心とする摂理は、結局成し遂げられなかったのである。 第二に、み旨成就に対する神の予定のあり方と、人間の責任分担の遂行如何で神がどのような態度をとられるか、ということを私たちに見せて下さったのである。ノアの家庭は、神が1600年間もかかって求めて来られたのであり、また、ノアが箱船を造って40日の洪水により、全人類を犠牲にしてまで立てた家庭であったとしても、ハムの小さな過ちによって、サタンが侵入するようになると、神は復帰摂理の対象であったその家庭全部を惜しみなく捨てられ、その結果、ノアの家庭を中心とする摂理は、失敗に帰してしまったのである。 第三に、人間に対する神の予定がどのようなものであるかを我々に見せて下さった。神は、ノアを信仰の祖に立てようと、長い期間を通じて苦労して探し求めてこられたにも関わらず、その家庭が、いったん、責任分担を全うできなくなったときには、惜しみなく捨て、その代わりとしてアブラハムを選ばれたという事実を、我々は忘れてはならない。 11、ノアの立場を受け継ぐ為に、アブラハムに必要な条件を述べよ。(317-318) アダムからノアまでの10代と、審判40日期間。 アブラハムは10代と共に、その10代が各々審判40数を蕩減復帰したという立場に立たなければならない。ゆえに、その各々の代が、審判40日の失敗を40年期間でもって蕩減復帰するというかたちで通算年数を立てられたのである。 信仰の祖の立場と、アベルの身代わりであったハムの立場。ノアが信仰と忠誠を尽くして、箱舟をつくったのと同様に、アブラハムも、信仰と忠誠を尽くして、「象徴献祭」をささげなければならなかった。また、神が一番愛するアベルの身代わりであったハムを、サタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は偶像商であるテラから、その長子アブラハムを連れだしたのである。 12、アブラハムの三種の供え物の意義を記せ。(320-322) アブラハムの「象徴献祭」は、アダムからノア、アブラハムの三代にわたって、縦的に積み重ねられてきた摂理の象徴的蕩減条件を、この三つの供え物で、一時に横的に復帰しようとしたのであった。また、蘇生、長成、完成の三段階を象徴する鳩と羊と雌牛とを、一つの祭壇に載せて献祭したのは、ちょうどアダムの一代で、三段階の成長期間を完成しようとしたのと同様に、アダムの立場であるアブラハムを中心として蘇生のアダム、長成のノア、完成のアブラハムというように、み旨から見て三代にわたって蕩減復帰しようとした縦的な摂理を、一時に、横的に完成するためであった。 13、供え物を裂く意義を述べよ。(323-324)
14、鳩を裂かなかったことが何故罪になったのか。(324)
アブラハムが鳩を裂かずに捧げたことは、サタンのものをそのまま捧げ、サタン所有物であることを、再び、確認したのと同様の結果になった。 15、エジプト苦役400年の理由(325-326) 神はノアの時に、サタンに奪われた10代と審判40数を、同時に蕩減復帰なさるために、400年というサタン分立期間を立てて、この分立基台の上にアブラハムを召命した。しかしこのアブラハムの過ちによりノア以後の400年期間も、やはりサタンに奪われることになったのである。ゆえに、アブラハムが、「象徴献祭」に失敗する前の立場であり、ノアが箱舟をつくるために神の召命を受けた立場を、民族的に蕩減復帰するためには、この400年というサタン分立期間を、再び立てなければならなかったのである。 16、アブラハムが再び立てられた理由を述べよ。(326-327)
17、神は何故アブラハムにイサク献祭を求められたのか?(329) 神は完成しなければならない三次目で失敗したアブラハムを失敗しなかった立場に立て、また延長されなかった立場に立てなければならなかった。この目的のため、神は、アブラハムに、イサクを燔祭として捧げよと命令されたのである。 神のみ旨に対するアブラハムの心情や、その絶対的な信仰と従順と忠誠からなる行動は、既に、彼をしてイサクを殺した立場に立たしめたので、イサクからサタンを分離させることができた。したがって、サタンが分離されたイサクは、既に天の側に立つようになったので、神は彼を殺すなと言われたのである。 また神がイサクを死んだ立場からよみがえらせたということは、アブラハム自身も死んだ立場から侵入したサタンを分立すると同時に、再びよみがえったということを意味する。このように、死んだ立場から共によみがえったイサクとアブラハムは、み旨を中心として見れば一体であるので、その摂理はアブラハムからイサクまで延長したけれども、み旨を中心として見れば、アブラハムは失敗せず、その摂理も延長されなかったと同じことになったのである。 19、ヤコブがアベルの位置に立つための条件を4つあげよ。(333-334)
20、何故「我は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われたのか?(337-338) アブラハムとイサクが、その個体は、各々異なるが、み旨を中心として見るときには、一体であったように、ヤコブはイサクの家庭を中心として、「メシアのための基台」を立てるべき「実体基台」の中心人物であったので、アブラハムとイサクとヤコブは、み旨を中心として見れば、みな一体であったのである。ゆえに、アブラハムを中心とした復帰摂理は、イサクとヤコブに延長されてきたけれども、み旨を中心として見れば、延長されずに、アブラハム一代で完成されたのと等しい結果になるので、「我は、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」と言われたのである。 21、アブラハム家庭の教訓(339-340)
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