原理講論試験

総序

創造原理

堕落論

人間歴史の終末論

メシヤの降臨とその再臨の目的

復活論

予定論

キリスト論

緒論

復帰基台摂理時代

モーセとイエスを中心とする復帰摂理

摂理歴史の各時代とその年数の形成

摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代

メシヤ再降臨準備時代

再臨論

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参照:原理講論 再臨論 ()内の数字は原理講論のページを示す。

1、イエスの再臨の時と場所を知りえるのかを聖句を用いて論ぜよ。(559-560)

 マタイ24/36「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」の聖句から、今まで知ろうとすること自体が無謀なことのように考えられてきた。しかしながら、マタイ24/36「ただ父だけが知っておられる」とアモス3/7「まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」の聖句からその日、その時を知っておられる神は、イエスの再臨に関するあらゆる秘密を、必ず、ある預言者に知らせてから摂理をされるということを知ることができる。

 イエスは一方で「もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう」(黙3/3)と言われながら「しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗闇の中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。」(テサロニケ・5/4)とも言われた。イエスの初臨の際には暗闇の中にいた祭司長達や律法学者達に対してはイエスは盗人のように来られたが、光の中にいた洗礼ヨハネの家庭、東方の博士達、シメオン、アンナ、羊飼達には、その事実を知らせて下さった。従って、イエスの再臨に際しても、光の中にいるすべての信徒達を通じて、耳と眼とを持っている人達には、必ず見ることができ、聞くことができるように、啓示して下さることは明らかである。

2、イエスはいつ再臨されるのか、原理的3つの観点から論ぜよ。(561)

 イエスが再臨されるときのことを終末という。終末論で現代が即ち終末であることを明らかにした。従って、現代はイエス再臨のときである。

 復帰摂理から見て、イエスは蕩減復帰摂理時代(旧約)の2000年を経たのちに降臨された。故に、蕩減復帰の原則からみれば、前時代を実体的な同時性をもって蕩減復帰する再蕩減復帰摂理時代(新約時代)の2000年が終わる頃に、イエスが再臨される。

 世界大戦の摂理からみて、第一次大戦でドイツが敗戦し、サタン側のアダム型の人物であるカイゼルが滅び、サタン側の再臨主型の人物であるスターリンが共産世界をつくった。従って、第一次世界大戦が終了したあとから再臨期が始まった。

3、イエスが雲に乗って来られるという聖句は何を意味するのか、又、何故そのように言われたのか? (577-581)

雲に乗って来られるという聖句は、何を意味するのか?

 雲は地上から汚れた水が蒸発(浄化)して、天に昇っていったものをいう。黙17/15から水は堕落した人間を象徴している。従って、雲は、堕落した人間が、新生し、その心が常に地にあるのではなく、天にある信仰の篤い信徒達を意味するものである。また雲は、群衆を表示する言葉としても使用されている(ヘブル12/1)。従って、イエスが雲に乗って来られるというのは、イエスが新生した信徒達の群れの中で、第二イスラエルであるキリスト教信徒達の指導者として現われることを意味する。

イエスはなぜ雲に乗って再臨されるといわれたのか

 第一に偽キリストの惑わしを防ぐためであった。イエスが地上で再臨されるということを言われたとすれば、偽キリストの惑わしによる混乱は防げない。今まであらゆる信徒達が天を仰いできたので、この混乱を免れることができた。

 第二に、険しい信仰の路程を歩いている信徒達を激励するためであった。イエスはすぐにでも再臨されるかのように話されたので、弟子達はイエスの再臨を熱望する一念から、ローマ帝国の圧政とユダヤ教の迫害の中にあっても、かえって聖霊の満ちあふれる恩恵を受けて、初代教会を創設した。

4、再臨主が来られる国の条件を全てあげ、説明せよ。(587-598)

この国は蕩減復帰の民族的な基台を立てなければならない。

 この国は、天宙的カナン復帰のための「40日サタン分立の民族的な基台」を立てなければならない。第一イスラエルは、民族的カナン復帰路程を出発するため、当時サタン世界であったエジプトで、400年間苦役したのであった。これと同じく、第二イスラエルも、世界的カナン復帰路程を出発するため、当時、サタンの世界であったローマ帝国で、400年間迫害を受けたのである。従って、第三イスラエルも、サタン側のある国で40数に該当する年数の苦役を受けなければならない。

この国は神の一線であると同時にサタンの一線でなければならない。

 第一に、人間の堕落により、サタンが先行して造ってきた祝福型の非原理世界を、神は後を追いながら天の側に復帰してこられたので、歴史の終末に至れば、この世界は必然的に民主と共産の二つの世界に分かれるようになる。再臨主は、堕落世界を創造本然の世界に復帰されるために来られるので、まず再臨されるはずの国を中心として、共産世界を天の側に復帰するための摂理をなさるため、この国で民主と共産の二つの勢力が衝突しあうようになる。

 第二に、神とサタンの対峙線において、勝敗を決する条件としておかれるものが供え物であるので、アブラハムが供え物を裂かなければならなかったように、この民族的な供え物も裂かなければならない。

 第三に、長い歴史の期間を通じて、分立と衝突してきた一切のことはアベル型の民主とカイン型の共産の両世界として結実した。それがこの国を中心として、世界的な規模で衝突するようになるので、、宗教と思想、政治と経済など、あらゆるものが、この国で摩擦し、衝突し、混乱をまき起こしては、世界に波及していく。

この国は神の心情の対象とならなければならない。

 第一に、メシヤを迎え得る民族は、神の心情の対象として立つ孝子、孝女でなくてはならないので、血と汗と涙の路程を歩まなければならない。第二に、善なる民族でなければならない。サタンの第一の本性が侵略性であるのに対して、神の作戦はいつも攻撃を受ける立場で勝利を獲得していて道であった。故に、この国は有史以来、いくたの民族から侵略を受けながらも一度も他の国を侵略したことのない国でなければならない。第三にその国は、先天的な宗教的な天亶を持っている。その宗教的な性向は常に現実を離れたところで現実以上のものを探し求める国民性があり、古くから、忠・孝・烈を崇敬する神の選民に相応した国民性を持っている。

この国は預言者の証拠がなければならない。

 第一に、この民族は啓示に基づく、メシヤ思想がなければならない。第二に、この民族が信じている各宗教の開祖が、すべてこの国に再臨するという啓示が、その信徒達に与えられなければならない。すべての宗教は、キリスト教を中心として統一されるので、再臨主は使命の立場からみて、あらゆる開祖達の再臨者となり、すべての宗教は、ただ一人の同一の人物に結ばれる。第三に、イエスの再臨に関する霊通人達の神霊の働きが雨後のたけのこのように起こる。

この国であらゆる文明が結実されなければならない。

 復帰摂理の縦的な歴史路程において発達してきたあらゆる文明は、再臨されるイエスを中心とする社会で、横的に、一時に、その全部が復帰され、再高度の文明社会が建設されなければならない。従って、有史以来の全世界にわたって発達してきた宗教と科学、即ち、精神文明と物質文明は、この国を中心に、みな一つの真理によって吸収され、神の臨まれる理想世界のもとのとして、結実しなければならない。それは、陸地の地形から見ると、半島文明へと結実し、河川と海岸を中心した文明から見ると、それは太平洋文明として結実し、また、気候を中心に見ると、エデンの温帯文明に結実するのである。

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