原理講論試験
総序 創造原理
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参照:原理講論 創造原理
()内の数字は原理講論のページを示す。 1、性相、形状の二性性相およびその関係を説明せよ、また人間における相対関係の例をあげよ。(43-44) 存在するものはすべて、その外形と内性とを備えている。そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、そのごとくに現われたものである。その内性を性相といい、外形を形状という。性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちをいいあらわしており、形状は第二の性相である。この両者はお互いに、内的なものと外的なもの、原因的なものと結果的なもの、主体的なものと対象的なもの、縦的なのものと横的なものとの相対的関係を持つようになる。 人間における心と体は、各々性相と形状に該当するもので、体は心に似ているというだけではなく、心の命ずるままに動じ静ずる。観相や手相など、外貌から、見えないその心や運命を判断することができるという根拠もここにある。 2、被造世界とは?(48) 被造世界は、無形の主体としていまし給う神の二性性相が、創造原理によって、象徴的または形象的な実体として分立された、個性真理体から構成されている神の実体対象である。即ち、万物は神の二性性相が象徴的な実体として分立された実体対象であり、人間はそれが形象的な実体として分立された実体対象である。 3、創造原理から見た東洋哲学に関して述べよ。(48-49) 東洋哲学の中心である易学は、宇宙の根本である太極から陰陽、即ちみ言が、このみ言から万物が生成されたと主張している。太極は、すべての存在の第一原因として、陰陽の統一的核心であり、その中和的主体であることを意味する。この太極は創造原理から見ると、二性性相の中和的主体である神を表示したものである。しかしながら易学はそれらが、すべて性相と形状とを備えているということと太極が人格的な神である事実を知ることができなかったのである。 4、万有原力とは?神と被造世界におけるその機能を説明せよ。(50) 神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である。従って、神がこのような存在としておられるための根本的な力も、永遠に自存する絶対的なものであり、同時にこれはまた、被造世界が存在するためのすべての力を発生せしめる力の根本である。このようなすべての力の根本にある力を万有原力と呼ぶ。 5、人間において良心の力は如何にして働くか?良心作用から見た神の存在に関してとあわせ説明せよ。(52) 古今東西を問わず、いくら悪い人間であっても、正しいことのために生きようとするその良心の力だけは、はっきりとその内部で作用している。このような力は、自分でも知らない間に強力な作用をなすものであり、悪を行うときには、直ちに良心の呵責を受けるようになるのである。 あらゆる力が授受作用によってのみ生じることができるのだとすれば、良心も独自的にその作用の力を起こすことはできない。即ち、良心もまた、ある主体に対する対象として立ち、その主体と相対基準を造成して授受作用をするからこそ、その力が発揮されるのである。この良心の主体を神と呼ぶのである。 6、授受作用から見た堕落と復帰に関して説明せよ。(52-53) 堕落というのは、人間と神との授受の関係が切れることによって、一体となれず、サタンと授受の関係を結び、それと一体となったことを意味する。従って、堕落した人間が、神と完全な授受の関係を結んで一体となられたイエスと完全なる授受の関係を結んで一体となれば、創造本性を復帰して、神と授受作用とすることによって、神と一体となることができるのである。 あらゆる存在を作っている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、よく授けよく受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、即ち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という。 万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び合性一体化して、神のまた一つの対象となる。このように、神を正として、それより、分立して、再び合性一体化する作用を正分合作用と称する。 正分合作用により、正を中心として二性の実体対象に分立された主体と対象と、そしてその合性体が、各自主体の立場をとるときには、各々残りのものを対象として立たせて、三対象基準を造成する。そうして、それらがお互いに授受作用をするようになれば、ここで、その主体を中心として、各々三対象目的を完成するようになる。 正分合作用により、正を中心として、二性の実体対象に立たされた主体と対象と、またその合性体が各々三対象目的を完成すれば、四位基台を造成するようになる。 完成したアダムは被造物のすべての存在が備えている主体的なものを総合した実体相であり、完成したエバは被造物のすべての存在が備えている対象的なるものを総合した実体相であるので、彼等が夫婦となって一体となった位置は主体と対象とに構成されている被造世界の全体を主管する中心となる。
12、人間と被造世界の関係について述べよ。(59-60) 人間は被造世界に対して性相的、形状的な中心である。性相的な関係とは精神的、または霊的な関係のことであり、被造世界の森羅万象は人間の知情意の感応体となっている。従って人間は自然界の美に陶酔しそれらと渾然一体の神秘境を体験できる。形状的な中心としての関係は肉的な関係をいう。人間は物質の根本と性格を明らかにし、分類することができ、動植物や水陸万象や宇宙を形成しているすべての正座の正体を区別することができ、それらが人間を中心として合目的的な関係を持つことができる。物質は肉体の生理的な機能を維持させる要素となり、人間の安楽な生活環境をつくるための材料となる。 13、目的性の二重性について述べよ。(65) すべての存在は二重目的を持つ連体である。すべての存在の中心には、性相的なものと形状的なものとの二つがあるので、その中心が指向する目的にも性相的なものと形状的なものとの二つがある。性相的な目的は全体のためにあり、形状的な目的はそれ自体のためにあるもので、前者と後者は、原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの主体的なものと対象的なものという関係を持っている。それ故、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。従って、森羅万象の被造物は、このような二重目的によって連帯しあっている一つの広大な有機体である。 14、喜びとは如何にして生じるか?(65) 喜びは独自的に生じるものではない。無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状の通りに展開された対象があって、それから来る刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここにはじめて喜びが生ずるのである。 15、神は何故人間に三大祝福を与えたか? また三大祝福とは何か?(64-69) 神は御自分の性相と形状の通りに、喜怒哀楽の感性を持つ人間を創造され、生育せよ、繁殖せよ、万物を主管せよと三大祝福を与えられた。神が被造世界を創造なさった目的は、人間をはじめ、すべての被造物が、神を中心として四位基台を完成し、三大祝福のみ言を成就して、天国をつくることにより、善の目的が完成されたのを見て、喜び、楽しまれるところにあった。 神の第一祝福は個性を完成することにある。人間が個性を完成しようとすれば、神の二性性相の対象として分立された心と体とが、授受作用によって、合性一体化して、それ自体において、神を中心として個体的な四位基台をつくらなければならない。個性を完成した人間は神の宮となり、神と一体となるので神性を持つようになり、神の心情を体恤することによって神のみ旨を知り、そのみ旨にしたがって生活をするようになる。このように個性を完成した人間は、神を中心としたその心の実体対象となり、神の実体対象となる。従って、個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない。 神の第二祝福を成就するためには、神の二性性相が各々個性を完成した実体対象として分立されたアダムとエバが夫婦となり合性一体化して子女を生み増やし、神を中心として家庭的な四位基台をつくらなければならない。神を中心として四位基台をつくった家庭や社会は、個性を完成した人間一人の容貌に似るようになる。人間や神は、このような家庭や社会から、それ自体の性相と形状とを相対的に感ずるようになり、喜びに満ちることができる。 神の第三祝福は、万物世界に体する人間の主管性の完成を意味する。神の形象的実体対象である人間と、その象徴的実体対象である万物世界とが、愛と美を授け受けして合性一体化することにより、神を中心とする主管的な四位基台が完成されなければならない。神はこのように、人間と万物世界とが合性一体化することによって、神の第三対象である被造世界によって、神自体の本性相と本形状に対する刺激的な感性を相対的に感じて、喜びにひたることができる。 16、成長期間の必要性(根拠)を説明せよ。(76-78)
被造世界の創造が終わるまで、六日間を要したという事実は、被造世界を構成している各個性体が完成されるに際して、ある程度の期間が必要であったことを意味する。即ち、被造世界で起こるすべての現象は、ある程度の時間が経過した後、はじめてその結果が現われるようになる。
人間始祖は成長期間、即ち未完成期において堕落した。人間がもし、完成した後に堕落したとすれば、神の全能性を信ずることができない。なぜなら、人間が善の完成体になってから堕落したとすれば、善自体も不完全なものとなる。従って、善の主体であられる神も不完全な方であるという結論に到達せざるを得なくなる。
神はアダムとエバに、善悪を知る木の実を取って食べるときには、きっと死ぬであろうと警告された。彼等は、神の警告を聞かないで死ぬこともできるし、その警告を受け入れて、死なずにすむこともできたことから、彼等が未だ未完成期あったことは確かである。 被造世界は神の本性相と本形状とが、数理的な原則によって、実体的に展開されたものである。神は絶対者でありながら、相対的な二性性相の中和的存在であられるので、三数的な存在である。従って、神に似た被造物はその存在様相やその運動、その成長期間がみな三数過程、即ち、蘇生期、長成期、完成期の秩序的三段階を通じて現われるようになる。
18、間接主管圏において、何故人間には責任分担が必要であったのか、理由を二つ説明せよ。(79-80)
19、無形実体世界と有形実体世界との相対的関係を説明せよ。(82-83) 被造世界は、神の二性性相に似た心と体からなる人間を標本として創造されたので、被造世界には、人間の体のような有形実体世界と、その主体たる人間の心のような無形実体世界がある。この有形、無形の二つの実体世界を総合したものを天宙と呼ぶ。心との関係がなければ、体の行動がありえないように、無形世界が如何なるものであるかを知らなくては、、有形世界が如何なるものであるかを完全に知ることはできない。無形実体世界は主体の世界であり、有形実体世界は対象の世界であって、後者は前者の陰のようなものである。有形世界で生活した人間が肉身を脱げば、その霊人体は直ちに無形世界に行って永住するようになる。 20、肉身と霊人体との構成と機能を述べよ。(85-88)
肉身は肉心(主体)と(肉体)の二性性相からなっている。肉身は肉体の生存と繁殖と保護等のため生理的な機能を維持できるように導いてくれる作用部分である。肉身が円満に成長するためには、陽性の栄養素である無形の空気と光を吸収して、陰性の栄養素である有形の物質を万物から摂取して、これらが血液を中心として完全な授受作用をしなければならない。肉身の善行と悪行に従って、霊人体も善化あるいは悪化する。肉身から霊人体に与えられる要素を、生力要素という。
霊人体は肉身の主体で、霊感だけで感得され、神と直接通ずることができ、天使や無形世界を主管できる実存体である。霊人体はその肉身と同一の様相であり、肉身を脱いだ後は、無形世界(霊界)に行って永存する。霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。生心は神が臨在される霊人体の中心部分をいう。霊人体は神から来る生素(陽性)と肉身から来る生力要素(陰性)が授受作用をする中で成長する。霊人体は肉身から生力要素を受ける反面、逆に生霊要素を肉身に与える。
霊人体は肉身を土台にしてのみ成長する。生心の要求のままに肉身が呼応し、生心が指向する目的に従って、肉身が動くようになれば、肉身は霊人体から生霊要素を受けて善化され、それに従って、肉身は良い生力要素を霊人体に与えることができて、霊人体は善のための正常的な成長をするようになる。生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理である。 21、神の愛とは?(73) 神を中心としてその二性性相の実体対象として完成されたアダムとエバが一体となり、子女を生み殖やして、父母の愛(第一対象の愛)、夫婦の愛(第二対象の愛)、子女の愛(第三対象の愛)など、創造本然の三対象の愛を体恤することによってのみ、三対象目的を完成し、四位基台を完成した存在として、人間創造の目的を完成するようになる。このような四位基台の三対象の愛において、その主体的な愛を神の愛という。神の愛は三対象の愛として現われ四位基台造成のための根本的な力となる。 22、被造世界における人間の位置 (83-84) 神は人間を被造世界の主管者として創造された。被造世界は、神に対する内的な感性を備えていないので、この世界に対する感性を備えた人間を創造され、人間をして被造世界を直接主管するようにされた。従って、有形世界を主管できる肉身と無形世界主管できる霊人体とから構成された人間は、有形、無形の両世界をみな主管することができる。 神は人間を被造世界の媒介として、また和動の中心体として創造された。人間の肉身と霊人体が授受作用により合性一体化して、神の実体対象となるとき、有形、無形の二つの世界もまた、その人間を中心として授受作用を起こし合性一体化して、神の対象世界となる。そうすることによって、人間は二つの世界の媒介体となり、和動の中心体となる。 神は人間を、天宙を総合した実体相として創造された。神はのちに創造なさる人間の性相と形状の実体的な展開として、先に被造世界を創造された。従って、霊人体は無形世界を総合した実体相であり、肉身は有形世界を総合した実体相となる。 神から分立された二性の実体が、相対基準を造成して授受作用をすることにより四位基台をつくろうとするとき、それらが神の第三対象として合性一体化するために、主体が対象に授ける情的な力を愛といい、対象が主体に与える情的な力を美という。愛と美の目的は、神から実体として分立された両性が、愛と美を授受することによって合性一体化して、神の第三対象となることによって、四位基台を造成して創造目的を達成するところにある。 24、創造本然の価値は如何にして決定されるか?(70) ある個性体の創造本然の価値は、それ自体の内に絶対的なものとして内在するものでなく、その個性体が、神の創造理想を中心として、ある対象として存在する目的と、それに対する人間主体の創造本然の価値欲が相対的関係を結ぶことによって決定される。 |