原理講論試験

総序

創造原理

堕落論

人間歴史の終末論

メシヤの降臨とその再臨の目的

復活論

予定論

キリスト論

緒論

復帰基台摂理時代

モーセとイエスを中心とする復帰摂理

摂理歴史の各時代とその年数の形成

摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代

メシヤ再降臨準備時代

再臨論

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参照:原理講論 摂理的同時性から見た復帰摂理時代と復帰摂理延長時代
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1、統一王国時代とキリスト王国時代における信仰基台の造成に関して解説せよ。(474-477)

 統一王国時代において、「信仰基台」を復帰する中心人物は、預言者を通じて、示される神のみ言を実現していく役割を持った国王であった。サウル王が士師時代400年の上で彼の在位40年を神のみ旨にかなうように立て、「40日サタン分立基台」の上で、メシヤの形象体である神殿を建設し、それを信奉したならば、「信仰基台」を立てることができたはずであった。しかし、彼は、預言者サムエルを通して与えられた、神の命令に逆らったので、神殿を建設することができず、ダビデ王の40年を経て、ソロモン王の40年に至り、はじめてその「信仰基台」が造成されて神殿を建設することができたのである。

 キリスト王国時代において、「信仰基台」を蕩減復帰する中心人物は、修道院と法皇とのキリスト教理念を実現しなければならない国王であった。チャールズ大帝は、教区長制キリスト教会時代400年の「40日サタン分立基台」の上で、キリストのみ言を信奉し、キリスト教理想を実現していったならば、「信仰基台」は造成されるようになっていた。事実、チャールズ大帝は、法皇から祝福を受け、王位に上ることによって、この基台を造ったのである。

2、メシヤ降臨準備時代とメシヤ再降臨準備時代を比較対照せよ。(484-487)

 メシヤ降臨準備時代は、アダム以後の4000年の復帰摂理歴史の縦的な蕩減条件を、一時代において横的に蕩減復帰するための時代であった。一方、メシヤ再降臨準備時代は、アダムからはじまる6000年の復帰摂理歴史の縦的な蕩減条件を、一時代において横的に蕩減復帰するための時代である。

 メシヤ降臨準備時代において、バビロンの捕虜生活から帰還してきたイスラエル民族は、ネブカデネザル王によって破壊された神殿を新築し、マラキ預言者の指導により、罪を悔い改め、律法を研究し、信仰の刷新運動を起こすことによって、「信仰基台」を復帰した。これと同じく、メシヤ再降臨準備時代において、法皇のローマ帰還後の中世キリスト教信徒達は、ルター等を中心として、宗教の改革運動を起こし、新しい福音の光に従い、信仰の新しい道を開拓することによって、「信仰基台」を復帰してきた。

 復帰摂理時代は、律法と祭典などの外的な条件をもって、神に対する信仰を立ててきた時代であったので、第一イスラエルは、様々な異邦の属国とされて、外的な苦難の道を歩まねばならなかった。しかし、復帰摂理延長時代はイエスのみ言を中心として、祈りと信仰の内的条件をもって、神に対する信仰を立ててきた時代であるので、第二イスラエルは、内的な受難の道、即ち、文芸復興の主導理念である人文主義、啓蒙思想、宗教改革による信仰の自由等、宗教と思想に一代混乱が生じ、内的な試練を受けるようになる。

 初臨のとき、預言者マラキを遣わし、メシヤ降臨を預言され、ユダヤ教を刷新して、メシヤを迎える選民としての準備をされた。異邦人達に対しては、インドの釈迦による仏教、ギリシャのソクラテスによるギリシャ文化時代の開拓、東洋の孔子による儒教等、メシヤを迎えるために必要な、心霊的準備をするように摂理された。イエスは、この宗教と文化の全域を、一つのキリスト教文化圏内へ統合しようとされた。一方、メシヤ再降臨準備時代には、文芸復興の影響により、政治、経済、文化などが飛躍的に発展し、再臨されるイエスを迎えることができる今日の時代的背景と環境とを、成熟させてきた。

 イエスのときには、ローマ帝国の勃興による地中海中心の広大な政治的版図と、四方八方に発達した交通の便、ギリシャ語を中心として形成された広範な文化的版図などによって、メシヤ思想が急速に拡張しえる平面的な基台が、造成されていた。これと同じく、彼の再臨の時には、列強の興隆による自由を基盤とする民主主義の政治的版図の全世界的拡大、交通、通信の飛躍的発達、言語と文化との世界的交流等、メシヤ再降臨のための思潮が、自由且つ迅速に、全人類に流れる平面的版図が完全に造成されている。

3、歴史発展と堕落人間の性質との関係は何か?(488-489)

 地上天国は、完成した人間一人の姿と同じ世界である。従って、堕落した世界は、堕落した人間一人の姿に似ているということができる。故に、堕落した人間一人の生活を調べてみれば、人類罪悪史の全体的動向を知ることができる。堕落した人間は善を指向する本心と悪を指向する邪心とがあって、この二つの心が常に闘い、それ自身の内部で闘争を行っている。この各個体が、横的に連結して生活を営んでいるのが、社会であり、時間と共に縦的に変転してきた人類の歴史は、必然的に闘争と戦争をもって連携されるものとならざるを得ない。

 しかし人間は悪をしりぞけ、善に従おうとして不断に努力している。堕落した人間にも、このように善を指向する本心の作用があるので、人間は、神の復帰摂理に対応して、善の目的を成就してゆくようになる。従って、このような人間によって、つくられてきた歴史は、善悪が交錯する渦の中にありながら、悪をしりぞけ、善を指向してきたのである。

4、イエス以降、何故、復帰摂理歴史は西欧においてのみ発展してきたのか?(494-495)

 もしユダヤ民族がイエスをメシヤとして信じ、彼と一つになっていたならば、ローマ帝国を中心として地中海を基盤として成立していた古代の統一世界は、イエスによって感化され、彼を王として信奉し、エルサレムを中心とする王国を建設し得たはずであった。しかし、ユダヤ民族は、不信仰に陥って、滅亡してしまい、ローマ帝国も衰え、ゲルマン民族によって滅ぼされた。

 このようにして神の復帰摂理は、ユダヤより、西ローマの版図であった西欧に移されていった。従ってイエス以降のキリスト教による霊的復帰摂理は、西欧を土台として成就され、神の復帰摂理の典型路程として発展してきたのである。従って、西欧を中心とするキリスト教史は、復帰摂理延長時代を形成する中心的資料となる。

5、宗教史、経済史、経済史が何故分立して発展してきたのか?(495-498)

 人間は肉身と霊人体という両面性をもっている。堕落によって人間は霊肉の無知に陥った。霊的無知は宗教によって漸次に啓発されたが、宗教はすべての人の当面の必要を満たすものではないので、霊的な面の啓発は特殊な人間においては飛躍的なものであっても、一般的には、その発達は緩慢なものであった。しかし、科学は誰にでも認識でき、また必要不可欠な現実を打開するものであるので、肉的無知に対する啓発は急進的にして普遍的なものである。

 又、サタンは現実生活を通して、人間に侵入してくる以上、宗教の道は、現実を見捨てなくては行かれない道とみなされてきたので、現実を追求する科学と互いに調和をなすことができなかった。この不調和は宗教と経済との関係においても同じである。それは、経済も科学と同じく現実世界に属するものであり、科学の発達と密接な関係をもって発展するものだからである。従って、宗教史と経済史とは、その発展において、互いに、方向と進度を異にせざるを得なかったのである。

 宗教と経済は、その発展過程において、互いに対立しながらも政治によって我々の社会生活と関係を結んで、各々キリスト教史と経済史とを、形成してきた。西洋における政治は、急進的な科学の発達に伴う経済発展と、混迷のキリスト教の動きとを、社会生活の中で調和させていく新しい方向に向かうようになった。従って、キリスト教史と経済史と政治史は各々別途に考察しなければならない。

6、民主主義の原理的意義を説明せよ。(505-506)

 民主主義は主権を人民におくことにより、人民がその民意に従って、人民のための政治をする主義をいう。その摂理的意義は、メシヤ王国を建設なさろうとする神のみ旨から離脱した君主主義の独裁(君主主義に侵入したサタンの独裁)を除去し、再臨イエスを中心とする神の主権を民意によって復帰なさろうとする、最終的な摂理から生まれた主義である。

 人間は歴史の流れに従って、復帰摂理の時代的な恩恵を受け、心霊が次第に明るくなり、摂理に対応する人間の本心は、結局、神が最終的な宗教として立てられるキリスト教を差がし求める。従って、歴史が終末に近づくほど、民意は次第にキリスト教的に流れ、民主政体も、キリスト教的に変移し、民意によって再臨主を向かえるようになる。

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