原理講論試験
総序
メシヤ再降臨準備時代
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参照:原理講論 メシヤ再降臨準備時代
()内の数字は原理講論のページを示す。 1、宗教改革と文芸復興に関して原理的に説明せよ。(512-520) 中世の封建制度とローマン・カトリックの世俗的な堕落から来る社会環境は、人間の創造本性を復帰する道を遮っていた。故に、束縛されていた中世の人達は、内外両面の性向をもって環境を打開し、創造本性を復帰しようとする方向へとむかった。
創造原理によれば、人間は、人間自身の責任分担を、自由意思により完遂して完成するように創造されたので、本性的に自由を追求するようになる。また、神と一体となり、個性完成をすれば、人格の絶対的な自主性を持つので、人間は本性的に人格の自主性を追求するようになる。そして、個性を完成した人間は理智と理性によって、神のみ旨を悟り、生活するので、本性的に理智と理性を追求する。また自然界を主管するために、科学により、その原理を探究し、現実世界の環境を自ら開拓しなければならないので、人間は本性的に自然と現実と科学とを追求するようになる。しかるに中世社会の人々は、その封建社会による社会環境によって彼等の本性が抑圧されていたために、本性の外的な欲望によって、上記の事柄を強く追求したのである。 「ルネッサンス」は「再生」又は「復興」という意味である。ギリシャの古代精神、即ちヘレニズムは、人間の自由、人格の自主性、理智と理性の尊厳性と、自然を崇拝し、現実に重きをおいて科学を探究することなど、人間の本性を外的に追求していた。従って、その精神を模倣させようとする運動からはじまった「ルネッサンス」は古典文化を再生し、中世的社会生活に対しての改革運動にかわり、さらに、政治、経済、宗教等、社会全般にわたる革新運動へと拡大され、近代社会を形成する外的な原動力となった。
中世社会における法王を中心とする復帰摂理は、法王と僧侶の世俗敵な堕落によって成就することができなかった。そして中世の人々が人本主義を唱えるにつれ、人々は人間の自由を束縛する、形式的、宗教儀式と規範に反抗し、人間の自主性を蹂躪する封建階級制度と法王権に対抗するようになった。さらに、人間の理性と理智を無視して、何でも法王に隷属させようとする、固陋な信仰生活に反発し、自然と現実と科学を無視する遁世的、他界的、禁欲的な信仰態度を排撃するようになった。こうして、中世キリスト教信徒は法王政治に反抗するようになった。このようにして、中世社会の人々がその本性の外的な欲望を追求するにつれて、その反面、抑圧されていた本性の内的な欲望をも追求するようになり、遂に、使徒達を中心として神のみ旨のみに従った熱烈なキリスト教精神への復古を唱えるようになった。これが即ち、中世におけるヘブライズムの復古運動である。 ウィクリフは聖書を英訳して、信仰の基準を聖書におき、教会の腐敗を批判し、改革運動が起こったのであるが、それらはみな失敗に終わった。しかし、1517年に、法王レオ10世が免罪符を売るようになると、この弊害に対する反対運動が導火線となって、マルティン・ルターを中心として宗教改革運動が爆発したのである。この革命運動はフランスのカルヴィン、スイスのツウィングリを中心として伸展し、イギリス、オランダ等の諸国へと拡大されていった。
デカルト(Descartes):演繹法による理性論の祖、すべての真理は理性によってのみ探究されると主張。歴史性や伝統を打破し「我思う我在り」という命題を立て、神、世界、自分までも否定する立場に立とうとした。 フランシス・ベーコン(Francis Bacon):帰納法による経験論の祖、すべての真理は、先入観を捨てて経験、即ち、実験と観察によって認識されると主張。神から離れて理性を重要視する合理主義思想と、経験に基盤を置く人間中心の現実主義思想は、共に空想を排撃して、自然と人間とを神から分離した。 フォイエルバッハ(Feuerbach):「キリスト教の本質」の中で、彼は社会的、経済的予件が宗教発生の原因になると説明し、唯物論の基礎を形成した。
カント(Kant):経験論と理性論を吸収し、批判哲学を打ち立て、哲学の面でアベル型の人生観を開拓した。認識は、悟性の自発的作用により、先天的にある自己の主観的な形式をもって、対象から来る多様な感覚を統一することにより成立すると説明し、主観が対象を決定するとした。宗教界においては、宗教的情熱と内的生命を重視し、教理と形式よりも神秘的体験に重きを置く新しい運動が起こるようになった。 シュペーネル(Spener):敬虔主義の祖、正統的信仰に従おうとする保守的な傾向が強く、神秘的な体験に重きを置いた。 フォックス(Fox):クウェーカー派の祖、キリストは、信徒の霊魂を照らす光であり、聖霊を受けてキリストと神秘的に結合し、内的光明を体験しなければ聖書の真意を知ることができないと主張。 スウェーデンボルグ(Swedenborg):霊眼が開け、天界の多くの秘密を発表した。 三権分立思想は、絶対主義の政治体制によって、国家の権力が特定の個人や機関に集中するのを分散させるためのものである。これは啓蒙思想派のモンテスキューによって提唱され、フランス革命のとき「人権宣言」の宣布により実現された。この三権分立は元来天の側で成し遂げようとした理想社会の構造であったが、サタン側が先に非原理的な原理型としてなしとげたのである。 創造原理によると、被造世界は完成した人間一人の構造を基本として創造されているので、理想社会も完成した人間一人の構造と機能に似ている。肺臓と心臓と胃腸が、抹消神経を通じて伝達される頭脳の命令に従って、お互いに衝突することなく円満な授受の作用を維持しているように、この三臓器に該当する理想社会の立法、司法、行政の三機関も、政党に該当するキリストを中心とする信徒達を通じて伝達される神の命令によって、お互いに原理的な授受の関係を結ばなければならない。 長い歴史の期間を通じて政治体制が変遷してきたのは、堕落社会が、復帰摂理によって、完成した人間一人の構造と機能に似た理想社会へと復帰されてゆくからである。今日の民主主義政体は、三権に分立されているが、政党は神のみ旨を知らず、憲法が神のみ言から成り立っていないので、立法、司法、行政の三機関は、あたかも神経系統がきれて、頭脳から来る命令に感応できなくなった三臓器のように相互間の調和と秩序を失って、対立し、衝突している。故に、再臨理想の目的は、イエスが降臨することにより、現在の政治体制に完全な中枢神経を結び、神のみ旨を中心とした本然の機能を完全に発揮させようとするところにある。 4、芸復興に伴う宗教・政治及び産業革命に関して簡潔に述べよ。(536-537) カイン型であるヘレニズムの反中世的復古運動は人本主義を引き起こし、これが、更に第二次文芸復興思潮の啓蒙思想を起こし、更に第三次文芸復興思潮といえる唯物史観を生み、共産主義思想を成熟させた。このようにサタンの側が天の摂理に先行していくに従って、宗教、政治、産業各方面においても三次の革命がひき続き生ずるようになった。 第一次文芸復興に続き、ルターを中心とする第一次宗教改革が起こり、第二次文芸復興に続いて、第二次宗教改革としてウェスレー、フォックス、スウェーデンボルグ等を中心とする新しい霊的運動が、起こった。故に、第三次文芸復興に続いて、第三次宗教改革運動が起こることは歴史過程からみて、必至の事実であり、事実、今日のキリスト教の現実は、その改革を切実に要求している。 政治的な面においては第一次文芸復興と、第一次宗教改革の影響により、中世封建社会は崩壊し、第二次文芸復興と第二次宗教改革によって、専制君主社会が崩壊して、第三次文芸復興による政治革命によって、共産主義が成立するに至った。従って、将来第三次宗教改革により、天の側の民主世界が理念的にサタンの側の共産世界を屈服させて、神を中心とする一つの地上天国に統一しなければならない。 経済改革については、蒸気による工業発達によって、第一次産業革命がイギリスにおいて起こり、電気とガソリンによる第二次産業革命が先進諸国で起こり、今後は原子力による第三次産業革命が起こって、理想世界の社会環境が世界的に建設されるであろう。 人間の行動に内外両面の原因があるのと同様、戦争にも必ず、内外の原因がある。即ち、人間の行動は外的自由意思により、当面の現実に対応しようとするのはもちろんであるが、内的自由意思により、復帰摂理の目的を指向し、神のみ旨に順応しようとして決定される。故に、人間の自由意思により起こる、行動と行動との世界的な衝突が世界大戦であるので、世界大戦を、政治、経済、思想等の外的な原因を中心として見るだけではなく、内的な原因である蕩減復帰摂理から見なければならない。
6、天の側とサタンの側との区別は何によって決定されるか。(542-543) 天(神)の側とサタンの側との区別は神の復帰摂理の方向を基準として決定される。神の復帰摂理の方向と同じ方向か、あるいは間接的でもこの方向に同調する立場を取るときこれを天の側といい、これと反対になる立場をサタンの側という。故に、天の側であるとかサタンの側であるというのは、我々の常識や良心による判断が必ずしも一致するものとはいえない。 すべての宗教はその目的が等しく善にあるので善であるが、ある宗教が、使命的にみていっそう天の側に近い宗教の行く道を妨害するときには、その宗教はサタンの側に属する。また、使命期を過ぎて、新しい使命を担当して現われた宗教の行く道に障害となる立場に立つとき、その宗教はサタン側になる。 アベル型の人生観の系統はみな天の側であり、カイン型の人生観はみなサタンの側である。従って、信仰の自由の許されている民主世界は天の側であるが、唯物論者はカイン型の人生観の結実であるので、共産世界はサタンの側となる。 キリスト教はすべての宗教の目的を達成するための最終的な使命を持って、中心宗教に立てられているので、キリスト教国家または、同調国家は天の側であり、キリスト教迫害国家、または、その発展を直接、間接的に妨害する国家はみなサタン側になる。 7、第三次世界大戦は何故不可避なのか?(553-554) 神は元来人間始祖に世界を主管せよとの祝福を与えられた。しかし、サタンが先行して、この祝福を完成した型の非原理世界をつくった。神は復帰摂理によって、その後から天の側へ奪ってくる摂理をしてこられた。故に、人類歴史の終末には、サタン側も、天の側も世界を主管するところまでいかなければならないので、民主と共産の二つの世界が両立するようになる。そして、この二つの世界の最終的な分立と統合のために世界大戦が起こるようになる。第一次、第二次大戦は、世界を民主と共産の二つの世界に分立するための闘いであり、この次には二つの世界を統一するための戦いとして第三次世界大戦がなければならない。 その戦いには二つの道がある。第一は武器でサタン側を屈服させて統一する道である。しかし、きたるべき理想世界は、全人類が共に喜ぶ世界でなければならないので、敵を武器で外的に屈服させるだけでは決して実現できない。故に、再び内的にも屈服させて衷心から喜べるようにしなければならない。そのためには、完全無欠な理念がなければならない。第二の道は、全面的に理念による内的な戦いで、直ちにサタン世界を屈服させて統一する道である。いずれの道かは人間の責任分担の遂行如何にかかわる問題である。 |