コラム: 国語・算数・理科・社会

怠け者の怠惰な生活と日常のあれこれを覗いてみようよ、気まぐれコラム

丸いすいかも切りようで三角。どんなに切っても豆腐は四角
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No.109 健康好きな日本人
代替医療に出費している成人は日本では8割だそうだ(8月7日の記事より)
筑波技術短大付属診療所の山下仁・助手(鍼灸)らの調査で分かったとある。調査は全国の実態を反映するように地域・サンプル数・年齢を選び、20〜80歳の男女1000人に電話アンケートで行われた
代替医療とは健康食品や栄養ドリンクといった類のものであるが、アンケートの結果では「過去一年以内に出費した」人は76%で米国の42%、英国の20%を大きく上回った、とのこと
米国と英国を足してもまだ日本の足元に遠く及ばない。まあ、足すことにどういう意味があるかと聞かれると困るのだが、とにかくそのくらい遠く及ばないということである
出費額は平均で19000円。うーむ、私の本代は年間いくらだろう?などと自問したくなる
CD費はいくらだ?などとも自問したくなる。額の多寡はあろうとも同程度の出費のような気もする。少なくとも桁が違うことはない
女子高生の電話代が月平均30000円とか、わけの分からない数値だったような気もするので、この程度は当たり前と思うほうがいいのかもしれないが、一体何につかってるんだろうと記事を読み進めてみると
代替医療の内訳は複数回答の結果、「栄養ドリンク」と「健康食品を含むサプリメント」が同率の43%で1位。以下「健康器具」22%、「ハーブ・漢方薬」17%、「マッサージ・指圧」15%
ムムム!マッサージも代替医療になるのか。たしかに保険はきかなかった気がするが。ひょっとすると、肩たたきなんかも代替医療?青竹も?まさかポカリなんとかもか・・・
ムムム!これは人のことを笑っていられない、意外と私も代替医療にはまっているのかもしれない
でも、まさか私の好きな梅干まで、代替医療の範疇ってことはないよね、って思った次第

No.108 6月はサッカーで終わった
いやもう大変である
勝ったと言っては川に飛び込む。次から次へと、ザブン、ドブンてなものである
視聴率が60%を超えて史上2位てなもんである。なんと力道山-デストロイヤー戦を超えたのである。エライコッチャ、とんでもないこっちゃ、あらサッサ
まさに猫も杓子もである。話の筋とは関係ないが杓子とはしゃもじのことである。まあ、どうでもいいことかもしれないが、知ってることは一応披露しておきたいたちなのである
一次リーグを一位で突破したときには、みなさん頭に血が上りきって、血管が切れかけていたのではなかろうか。「優勝だ!」なんて威勢のいい声が聞こえてきたからおそらく、酸欠による思考停止状態に近かったんでしょう
それもトルコ戦での敗戦で少しばかり血の気も引いてようやく周りに目をやる余裕が出てきたようだ。それでもお隣韓国の躍進は止まらず、こっちまでなんか胸躍らしてしまう体たらくである。なにしろ右も左も赤、赤、赤である。牛でなくても興奮してしまう
それに比べてと言えばいいのだろうか、ドイツが米国を破って準決勝進出を決めた翌日の朝刊のトップ記事は「スペインで爆弾テロ」「中学生の学習到達度でバイエルン州が首位」てなもんらしい
結構冷めてるって? いえいえ、スポーツカフェは連日大にぎわいだし、ドイツ-パラグアイ戦では視聴率87.7%だったそうだ
いやあー。サッカーの歴史ってやつですか?彼我の差をしっかり確かめさせてもらえたって思った次第
さあ、これからそのドイツ戦をゆっくり堪能するとしよう

No.107 4月の「最近の言葉」で考えた
「ここで問いたい」と問うのは自由だ。そして答えることも答えないことも同じく自由だ。答えねばならない責務は質問するほうにもされるほうにも見守る我らにも同等に課せられているのだから
「長官の訪問で何かが変わると考えているのは、何も分かってない人か、外国人だけだ」そう答えるのももちろん自由だ。それを非難するのも受け入れるのも無視するのももちろん自由だ。平和が保証されているとしたのならば
「いや、それはそれで別に不満はないのだけど、しかし満足出来ない、ということがある。不満がないのと満足できないのとは、どうしてもすれ違う世界なのだ」そう考えるのも自由だ。というよりも致し方ない。そう考えるように一部の大人は出来ているのだから
「嫌なコトがあったので、家出をしてみました。私はひとり暮らしなのですが。あんなところに誰が帰ってなんかやるものかと、部屋には誰もいやしないのに思います」なんてことを考えるのだってもちろん自由に決まっている。ごく一部の大人にだけ与えられた自由ではあるのだが
「500万年に及ぶ人類の進化史のなかで、戦争を是として暮らしたのはほんの最近の数万年か、数千年のことのようだ」ということを夢想するのも自由だ。この場合は推論、いや確信に近いのだろうが
「しかし創造力なんていう言葉と、最も遠い役人の頭で考えたことがうまくいくとは思えない。ちゃんちゃらおかしいね」とすれば、こう考えるのだって自由なはずだ。まあ、口に出すかまで自由かは分からないが。
特殊な人には窮屈な思いも必要かもしれない、と私が思うのももちろん自由だと思うのだが、いかがなものか
どうだ、大人は色んなことを考えてもいいのだ。と、バカボンのパパなら言うに違いないと思った次第

No.106 只者ではないぞ、女の子は
いま私は怒っています、と言い切ることが果たして今の私に出来るであろうか。はたまた嘘はついてはいけません、などとのたまうことが可能であろうか
ムムム、お主やるな!と思って新聞の投書欄をよくよく見れば、7歳と8歳の女のこの発言(だと思われる)。一方は成人式でのご乱交の大人たちに怒り心頭。もう一方はNGO問題の嘘言った大人たちに怒り心頭
しかしよく考えてみると、どうもそれら大人気ない大人たちのことを怒っているだけではなく、実はそんな大人たちを許容している大人社会そのものを怒っているようにも見えるわけである
たくさんいれば少しは変な大人もいるさ、って妙に分かったような顔をしてる私たちに怒っているんじゃないだろうか、と思うのである
いい度胸だ。この私に喧嘩を売るのか!などと小学生相手に凄んでも仕様がない、致し方ない。凄むのは外務省相手、鈴木さんにでも任せておこう
いい大人は、凄んだりしないものだ。だから君たちの怒りは最もだけど君たち女の子と喧嘩なんかしないもんね。てな風に喧嘩する相手を誤魔化したりしてお茶を濁そうとしているようでは、もう叱ってもいただけないかもしれない。そうすると、結構困るぞ。やなり間違った時にはちゃんと叱ってもらわないと、と考えてはたと気づいた
一体全体小学生の女の子に叱ってもらわなければ目が覚めない日本の大人ってなんだ

No.105 1月の「最近の言葉」で考えた
「私は気力と体力しかない。ひたすら猛烈に研究、勉強する」まあ、こういうことを仰る方は大抵頭の方も出来がいいようでありまして・・などと嫌味の一つを言うような輩は例外なくお間抜けと決まっているようであります
「ひらめきやセンスも大切ですが、苦しまないで努力を続けられるということが、何よりも大事な才能だと思いますね」まあ、これもこれで結構嫌らしい物言いですな・・などと小言の一つも言うような御仁はまず間違いなく怠け者ということになっているようであります
「最近ちょっと体力が落ちました。九十五、六がピークどしたな」世の中には傑物がいらっしゃるようで、安心しました。90過ぎまで達者で居ることも可能性があるようで・・などと呑気なことを考えていていいのですか? 90過ぎても体力が落ちるってことですぞ。一体いつまで続くぬかるみぞ!ですな
「マイナス成長を『行きたい所へ行けない』というものではなく、『別のもっといい所へ行く』というものに、つまり、発展が止まったのではなく、『対抗発展』が始まった、というふうに考えたらどうだろうか」そうです、対応発展です。今年はこれで行きましょう。でも私の場合は退行発展、てなところでしょうか
「『考える』ことが求められている。『考える』とは、理屈をつけることではなく『深く感じる』ということ」深く考えないで小利口を気取って小理屈を述べているようではいけません。まあ、自戒を込めて、もう一度言っておきますが・・それはいけません、あきません、駄目です、いただけません。ねえ、日本の政治家さん
「アマニモヌレズ カゼニモフカレズ  アツサ サムサノクルシミモシラズ  アタエラレタショクモツヲ ダマッテクチニシ セカイジュウノ ウミト モリヲ クイチラカシテイルコトニ キヅキモシナイ  ソンナ ニッポンジンニ ワタシハ ナリタクナイ」ああ わたしはどんなにほんじんに なりたいのでしょう なれるのでしょう
21世紀を考えてみてもいいのかもしれないと、柄にもなく考えてみた次第

No.104 10月の「最近の言葉」で考えた
「大阪ドームの経営不振を追求された大阪市長が『近鉄が弱いのは大阪市のせいやない』と言い訳しました」あほな市長を選んだのは大阪市民やないか!と言い返してみてください。とにかく優勝おめでとう、近鉄バッファローズ
「何からも逃げない。守られない。商業的にならない。すぐに歌わない」かっこいい!だけが男の価値ではありません。カッコ悪いよりは数段上ですが・・・でも、他の価値だってきっとあるはずだ。ただ、それは何なのかあほなので、分からない。大阪市長とどっこいどっこいだね、これじゃ
「一塁側の阪神ファンたちがいっせいに『長嶋あー』『ながしまー』と大声で長嶋さんの名を呼んだ」大阪市長を選んだ大阪市民は「どもならん」てな感じだけど、阪神ファンはいいやつじゃないか。今まで誤解していた、スマン!
「あなたが今、知りたいことはいったいどのくらいありますか?恋人との相性でもよし、クモの生態についてでもよし、未解決事件の真相でもよし」それほど多くはない。明日の天気と明後日の体調と今夜の夕飯が知りたい。その程度の未来が分かればよろしい
「大家族だ。1人くらいは厄介者が出る」でも家族なら、ほうっておいてはいけない、と先生に教わりましたがねぇ
「素直な感想を述べただけだ」こういうことを言って大人を困らせる子供っていましたねぇ。世の中には言ってはいけない、ことがあるって学校の先生に教わりましたねぇ
「リスクがゼロとはいえない。各メーカーが消費者に安全だと説明できれば、流通しても問題ない」こんなことしか言えないエリートを作ってきたんですねぇ。学校の先生は
偉いと思われていたものが、実はたいしたことはなくて。賢いと思われていたものが、本当は中身がなかったりして。アカンと思っていたものが、結構いいヤツだったりする
だから、人生って侮れませんねぇ、って思った次第

No.103 9月の「最近の言葉」で考えた
「ファービーは美的条件を備えておらず、著作物として保護対象の美術工芸品ではなく実用品」だそうである。美的条件がどういうものかは判然としないが、裁判所に決めてもらいたくはないと思う。このページも多分美的条件を備えていないだろうから
「年食って、ナリが大きくなっても、そんなに強くはなれないんじゃないかな。現に自分がそうだから」という文章を「年食って、ナニが大きくなっても、そんなに強くはなれないんじゃないかな。現に自分がそうだから」と間違う私は一体何者?ナニって何?
いずれも美的条件は備わっていないのは確かそうだ、と思う
「私の戦術を理解するのに必要なのは1日、もしくは1ヶ月、もしくは一生だ。やる気のないものは一生かかっても理解できない」そうだ、分かる気のないものに、このページの良さは永遠に分かるはずがない。美的条件の有無とは無関係。あくまでもやる気の問題である・・・と思う
「ハリウッドのシステムでは、世界中に眠る、いい物語をすくいとれない。そんな状況を技術で突破したかった」と言ったにもかかわらず、突破することは出来なかった。代わりに自分たちが木っ端微塵になった。でも・・・でも、と思う
「同世代を見るとアラが目立つ。ひと世代上には、ああなりたくないという反発がある」って言われても困る。ひと世代上に当たる人も、同世代に当たる人も困る。きっと困る・・・と思う
「正統なレッスンを受けなければ、何かが欠けていると思っていい。天性の才能も大切だが、学ぶことで全体を見渡す目を養える。進むべき方向を見極める目をね」こんなことを言う世代がいるから私たちの世代が胡散臭く見られるに違いない。きっとそうだ、別に私がいけないわけではない・・・と思う
じゃあ、歳を重ねればいいのか?でもナリとナニを聞き間違えるようでは永遠に求めるものは手に入らないのではないか。
手に入れたいものは、決して手に入らないものだ。それだけはかなり若いときから理解していた、そういう世代だって思った次第

No.102 エコノミーの憂い
大手スーパーのマイカルが倒産した
その日に株価が上がった。これを不良債権処理が本格的に進むシグナルと感じ取った輩が「買い」に動いたということだろうか
市場は非情ということだ。昔から子女は非情だったが私情は意外と湿っぽかったのだが・・・いかんシャレもイマイチ切れが悪い
同時多発テロが起きれば石油の価値があがる。石油会社の株も上がるのだろう
昨日までと同じ石油が、である。まあ、ことは石油に限らない
そもそも株価などというものに大した算出根拠はない。そういう世界なのだから当然と言えば当然だ
いやいや、算出根拠が希薄だからこそ株屋が生きていけるのだから当然過ぎるほど当然なのだ
エコノミーの原則って何?
教えてください。富は配分されるものなのか。配分すべきものなのか
それにしても・・・株屋なんて輩は碌なやつらではない、って思った次第

No.101 日本は沈むのか
リストラの嵐である
アメリカに端を発するIT不況が引き金になって世界同時不況の様相である。私が身を寄せる電機業界も他聞にもれずというべきが先導役を担っているというべきか
A社もB社もC社もD社もである。ブルータス、お前もか!
自分の会社も同じていたらくなので、強くは言いにくいのだ、でも言わずにおれない
去年まで絶好調みたいなこといってたんじゃないんかい!責任者出て来い!
まあ、ここで遠吠えしても景気はよくならない。世間に明るさが戻るわけでもない。明るいのはヤクルトと近鉄ファンだ。経済効果もたかがしれている。・・・すまぬ!これは八つ当たりであった
この10年を失われた10年というらしい。私の10年を返してよ、返してよ、返してったら返してよ。とこの「失われた」という言葉を聞くと女言葉になるほど逆上してしまう
何が失われたのか知らないけれど、ちゃんと10年分の肉は下腹についているし、10年分のしわは顔に刻み込まれている。経済成長のみにスポットを当てて議論することにさほど意味があるとは思えない
この10年、私たちはモノをつくりユーザーに価値を提供し悦びを与えてきたつもりだ。その代償として正当な対価をいただいてきた。経済のボリュームだけしか考えない20世紀の終わりの10年だって必死にいいモノを作り続けてきたんだ。その技術と誇りがある限り、日本は沈まない。そう思った次第である

No.100 今度こそ本当に通勤について考える
通勤の楽しみは人それぞれである
新聞を読む人。本に目を落とす人。音楽につかる人。ひたすら惰眠をむさぼる人。疲労回復にいそしむ人
これらを楽しみという言葉でくくるのは妥当ではないかもしれない。楽しみでやってる人がそれほど多くないのは容易に推察できる
人は犬や猫と同じようにテリトリーというものが存在している動物なのだ。身を守るための最低限の距離、空間が必要なのである。しかし現実は厳しい。経路によっては混雑度無限大である
最低1メートルはほしいと嘆きの学生君。残念ながら期待には応えられそうもありません。絶対3メートルは必要とお怒りのOLさん。あなたの要望は却下されました
こんな辛い思いをしてまで何故この電車に乗らなければならないのだろうか。根源的な問いに答えていただきたい
私の場合は会社に遅刻する、程度がせいぜいであろう。会社に行かなければならない必然性がない以上、他に答えようがない
なぜ、このHPを続けているのか、と問われれば。そこに私の存在意義があるからと答えざるを得ない。他に他人を誤魔化せる適当な解を持っていないので致し方ない
従って通勤は楽しいものだ、とでも思わないとやっていられない。そんな私の楽しみはカワイ子ちゃんを眺めることである。その意味でこの路線は今のところ期待はずれなのである。今度から乗る車両を変えようかと思っている次第

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