ずるくて、こすくて、情けないもの。それが大人の男なのです
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旧・大人の♂の法則 | 法則101〜100 |
★ 夏季課題:以下の法則について解説せよ。模範回答及び添削は次週 ★
一言多い、のが愚か者の常である。「余計なこと」を言っては叱られる、のも愚か者の常である。災いの種は蛇足というよりは「愚者の口」なのである |
蛇足: ここを文章で埋めなさい。蛇足ですが苦情や要望は文章と認めません |
D.Sさん: 小生の三本目の足。使い道がなく寂しい |
寸評 「下ネタに走るのは芸がありませんし愚痴を投稿するコーナーでもありません。また、使い道がないものは無駄、使用期限が切れたのものは無用。しっかりと区別すべきです」 |
憂鬱のK: 無用の長物と考えられるものが世の中には多々存在する。例えばこのHPである。しかし、無用であっても無意味とは限らない。少なくとも筆者の息抜の意味はある。 補足しておくが「価値があるかどうかは、この際問題ではない」というような文章は殆どが蛇足であり、無い方がマシである |
一応念のために言っておきたいんだけど…。「一応&念のため」とくるだけで「聞きたくない」と感じるのが大人の常である。それでも念のためことわっておきますが架空の動物「補」というのは嘘です |
補足: ここを文章で埋めなさい。補足しますが英語その他の外国語は禁止します |
H.Sさん: 文章の末尾につく意味不明の文言 |
寸評: 「惜しい! これでは舌足らずです。そのために、面白みに欠けインパクトがありません。筆者が以下のように補足しておきます」 |
憂鬱のK: 文章の末尾につく意味不明の文言。契約書の場合は注記という書式になることが多い。重要度に反比例して文字の大きさが決まるという逆進性が特徴。「万が一の場合に備えて」は起きる確率が高い場合に使われることが多いので特に注意が必要である。 プライベートな文章、特にアマチュアの雑文書きの場合はどこまでが本文でどこからが補足かが判別しないことがあるが、気にしなくてよい。アマチュアのプライベートな文章そのものに意味が無いからである。いい例がこのHPである |
★ 夏季課題:以下の法則について解説せよ。 ★
別に姑(しゅうとめ)さんの息がくさいとか、姑の息子は愚か(愚息)であるとかのことではない。根本的な対策ではない一時逃れの、トホホなことである。 アクセス数が少ないとすぐコーナーを新設する、というこのHPの安易な運営方法などがいい例である |
姑息: ここを文章で埋めなさい。こびを売るという姑息な手は通用しません |
K.Sさん: 代議士の答弁、特に金がらみの疑惑に対する国会答弁はその典型である |
寸評 まずまずといえます。基本をしっかりおさえていますが政治ネタに逃げるのも少し姑息と言えるかもしれませんネ |
憂鬱のK: 息もつかせぬ展開を息を呑むような文言を駆使し息を詰めて書き上げている。にも関わらず、読者と息が合わないのか息が抜けたようなアクセス状況に息づかいがあらくなる今日この頃、もう息をひそめて生きていくしか道はない。 といったような泣き落としや読者に媚を売ってでもアクセス数を増やそうという手段が「姑息」 「オレはアクセス数には無関心」と嘘を言うのは逃避または虚勢という |
ルールを破るつもりはない。しかし生きるためである、致し方ない。背に腹は変えられない。そういって誰も彼もが反則技を使う世界が政治の世界である。小は国会での居眠り、極小は公約違反といったところか |
反則: ここを文章で埋めなさい。喧嘩を売るというのは反則と致します |
H.Sさん: 嘘をついても勝てばいいと思っているヤカラ。何をしても勝てばいいと思っているヤツラ。そういった人たちの行動一般。自民党の選挙対策など |
寸評 ほどほどといえます。基本をしっかりおさえていますが政治ネタに逃げるのも少し反則と言えるかもしれませんネ。もっとも私のように同じ寸評で誤魔化すことよりは反則度は低いかもしれませんガ |
憂鬱のK: ルールは作る人のものであり、作る人に有利なように出来ている。何度となく教え説いてきた法則である。つまり作ったもの勝ち、というのが大人の男の世界である。惜しむらくは殆どの人はルールを作る側の人間ではなく作ったルールに縛られる側の人間であるという点である。 それらの人々を政治の世界では「庶民」とか「国民」と呼んでいるが意味は「有象無象」ということである。 選挙に行かない人にはこのことを糾弾する資格はない、と言われている。しかし別に選挙に行っても資格はもらえないし、そもそも資格が必要であるというルールもない。 浮動層といわれる人々がこぞって投票に行く、という「反則」行為が起こらない限りしばらくは今のままであると考えられる。それに「変える必要はない」、というのが何時の世もルールを作った側の言い分である |
宿題は夏休みと相性が悪い。どのぐらい悪いかというと、大人になっても夢でうなされるぐらいに悪い。けっして休みの終わりになるまで手を付けなかった「現・大人」が悪いのではない。あくまで相性の問題であると「現・大人」は考えている |
宿題: 出すほうはカタルシスを感じることができ、出されたほうはカタルシスを感じる手助けができる。やったものは達成感を、やらなかったものは挫折感を感じることができる。出来たものは満足感を、できなかったものは敗北感を感じることができる。慙愧(ざんき)に耐えない、などという言葉を残暑の中で思い浮かべるのは小学生がすべきことではない。ちなみに筆者は「トイレで泣いた」経験がある 挫折感も敗北感も大したことではない、大人になれば誰でも「残尿感」に悩まされようになる。そちらの方がより重要な問題であると指摘しておく |
毎日が日曜日である。嬉しい! などと思ってはいけない。明日は月曜、宿題は終わったかな、である。毎日、毎日「明日は月曜」状態がいいわけがない。そう気付くのは夏休みが無くなってからである。うれしいような、悲しいような |
夏休み: 暑いから仕事をしなくてよい、大変だから仕事しなくてよい、苦しいから仕事しなくてよい。と止めど無く人間は堕落していくのである。「暑い」は仕事を休む理由にならない。「寒い」ももちろんならない。 仕事をさぼる納得出きる理由は「嫌だ」である。ただし納得は出来ても理解も援助も受けれないことはキモに命じておく必要がある。 その他には「肉親の事故・病気・死亡」といったものが過去に報告されているが現在では使われることは殆ど無い。肉親が居なくなったわけではなく、休みを取るほど大切な肉親が見当たらなくなったことが原因だと思われる |
四十にして惑わず、と言われながら生きてきたのではあるが、どこかで道を間違えてしまったのであろうか「こんなはずではない」と迷ってばかりいるのである。ワクワクするようなことはすっかり影を潜めてしまったのに「惑」だけはいつまでも居座っている、のである |
不惑: 四十である。問題は四十になってしまうことである。もちろんこれは男の場合の話しで、♀の場合はどうなっているのか寡聞にして知らない。一節には三十にその境目がある、とか。いや最近は緩めに見ても二十五だろう、などとの風評があるが筆者は関知しない。君子あやうきに近寄らず、なのである。 それよりもやはり問題は四十である。始終あせり、紙中に愚痴をばらまく。アクセスの少なさ、品性の低下、記憶力の衰え、肉欲の喪失という四重の苦しみに悩むようになる。迷ってばかりで惑ってなどいる余裕はないのが実態である。 それでも甘い「誘惑」などというものなら考える余地は(十分に)残してある。妙齢の女性からの「誘惑」ならば歓迎することさえ「やぶさか」ではない。つまり「悟りは遥か先」、というのが現代版「不惑」の法則である |
三十にして立つ、のである。これに「も」一文字加えただけで意味合いは随分違ってくる。三十にしても立つ。相当な差がある。それにしても望むべきは四十にしても五十にしても立つ、我でありたいのである |
而立: 「じりつ」と読む。読みが分からないと国語辞典も引けないのが日本語の困ったところである。男は三十でチャンとしなければならない。これも「も」一文字で随分意味が違ってくる。男は三十でもチャンとしなければならない。望むらくは四十にしても五十にしてもチャンとしたいものである。 何がしたいの?とかは余計な詮索であり、同じフレーズを使い回しするな!という叱責は筋違いである。チャンと「望むべきは」と「望むらくは」という風に最低限の礼節は尽くしてある。 手抜き、品性劣悪程度は「不惑」なのであるから大目に見るべきである。 また、四十代を「不惑」とは呼ばないのではないかという指摘は正しいが、大人の優しさに欠けるといわざるをえない。同じことを指摘しても三十前の女性の場合は「慎みがない」という風に言われ、三十過ぎでは「可愛げがない」、四十にもなると「大人げない」と言われる。何故か理由は定かでないが女性の場合は年代で世間で認識される性別が(本人の意思とは別に)中性化するからかもしれない。 蛇足ではあるがこれを「両立」と読んだ人は大いに恥じ入るべきである |
人気はない。なにしろ、言葉が軽い。人間も軽い。体は重い。頭は硬い。理念は古い。と批判、非難の雨霰(あめあられ)。それでも安定飛行と言われるのは何故だ。 分からない人はこの講座で勉強してください |
低空飛行: かなりの低さである。通常飛行機には安全高度というものが存在し、3階建ての建物の高さ以上である。多分風呂屋の煙突の高さと同程度ではないかと思われるが詳細は定かでない。それから判断すると現内閣は相当な危険領域を飛行中と認定されている。 もっともあのような巨大な鉄の塊が空を飛ぶこと自体に無理があるのだから高かろうが低かろうが大した差ではないという意見も根強い。飛び立ったものは舞い降りなければならないのが自然の理であり、安定に飛行するかはあまり問題ではなく無事に降りるかどうかの方がより重大な問題である。 同様にどこまで飛んだかは意味を持たない。歴史の判断がくだっているときには、政治の世界から引退しているか、あの世に逝っているからである。または飛行機に乗りこんだだけで首相になる目的が達成されているからである。 ちなみにこの人、首相を主将と勘違いしているのではないかと思うのは私だけか |
外野は色々言うが、特に不安な要素はない。危篤状態であるが、当分は急変する心配はない。政治の世界では安定とは安全を意味しない。混沌が定常なら、それで十分に安定なのである |
安定: 安らかに定まれば、それが安定である。安全と安心が違うように、安定と安泰ももちろん違う。大いに違う。安産と安閑は全然違うし、安逸と安穏(あんのん)もかなり違う。人によっては「かすりもしない」というかもしれない。この手の言葉遊びは安易と言われ、忌み嫌われることがある。 しかしこの手の遊びは案外に安寧(あんねい)な雰囲気を作りだし読者に安静と安息をもたらすことが出来る。 これが「混沌」だがそれが「定常」であれば「安定」だという例である。 |
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