コラム: 国語・算数・理科・社会(更新)

怠け者の怠惰な生活と日常のあれこれを覗いてみようよ、気まぐれコラム

丸いすいかも切りようで三角。どんなに切っても豆腐は四角
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No.118 政治家の覚悟ってなんだろう3。定年制
衆議院全国区の定年は73歳である
もちろんこれは自民党の公認候補としての話し。公明党や共産党、民主党や社民党などの党がどのような規則を持っているのかはよく知らない。もちろん議員そのものの定年制についてはまったく分からない。候補になっても議員になれると決まっているわけでもない(はずだ、本来は)
小泉さんに言わせれば80を過ぎて頑張っているお二人が頭痛の種とのことで、「出処進退は自らの判断」ととぼけているわけにもいかず、ついに立候補辞退のお願いをした。小泉さんの勧告に宮沢さんは淡々と、しかし幾ばくかの心残りを吐露し政界をさる
北関東ブロック終身1位の地位を保証されていた(と思っていた)中曽根さんは唇を怒りに震わせながら毅然と勧告をはねのけた。いわく「非礼である」
もちろん比例である、のしゃれになっている。なかなかにやる。とっさに出たのだとしたら、まだまだ頭の回転は捨てたものではない。あらかじめ用意していたなら、それはまた別の意味で隅に置けない。年の功である
実際には公認の可能性はゼロであり、それは事実上の引退を意味する。もちろん以前の地盤から無所属で立候補する選択肢が残されてはいる。しかしそこには強力な自民党公認候補がデンと構えている。とても太刀打ちできない
万が一無所属で選挙を勝ち上がってきたとして、小選挙区の自民党対立候補を蹴落としておいて、どの面下げて自民党に復党できるというのか。天下の中曽根である。そんな恥知らずなことが出来るわけがない。小泉とは違うのだ
とまあ、勝手に中曽根さんの胸中を推察してみたのだが、右にも左にも進めそうにありませんねぇ。万策尽きたという感じでしょうか
こと、選挙に関しては勝負させてももらえないという乾杯、ではなくて完敗です。でも、そこは老練な老政治家。やられっぱなしではおられません。きっと蜂の一刺し、イタチの最後っ屁。頼みます。うーんとキツイやつを小泉さんにぶちかましてやってください
それにしても・・・辞める方も辞めさせる方も政治家の覚悟ってのはイマイチ良く分からないなあと思った次第である

No.117 政治家の覚悟ってなんだろう2
共産党の筆坂秀世参院議員が辞職した
やめた理由はセクハラ。酒の席で悪さをした人を庇う気はない。酒の席でなくてももちろん庇う気はない
辞めればいいというものではない。明らかにすべきは明らかにすべきである。・・・べきである、というのが共産党を支えている屋台骨の一つだと思っていたので、今回のささっと辞めてそれで終わりには、いささか合点がいかない
しかし国会議員とはなんという組織なのだろう。それは個人とは無関係に、一つの救いようのないシステムとして活動している組織のように見える
松浪健四郎、大島理森、鹿野道彦、額賀福志郎などが疑惑を持たれているらしい。らしいと書いたのは直近の松浪健四郎以外は記憶がうろ覚えで誰がどんな疑惑だったのか判然としないからだ
まあ、男性の国会議員とは金と女しか興味がない御仁の集まりのようだから、そのどっちかだと思う
山本譲司、加藤紘一、田中真紀子、辻本清美なんてところはイヤイヤながら辞職した口か。まだまだいる。KSD事件の小山孝雄、村上正邦は逮捕。井上裕も秘書の裏金疑惑で辞職
ああ、なんて出入りの激しい世界でしょう。きっとお金の出入りの激しさと人の出入りの激しさは比例するのでしょう
辞めればいいというものではない。でも、何故か・・・辞めないやつらよりは数段マシなような気がしてくるのは何故だ。ええい、そんなことを思ってはいけない。それは間違った考えだ。。。どっちもどっち、50歩100歩だ
分かってはいるのだが、、、辞めないよりはまだマシなような

No.116 政治家の覚悟ってなんだろう
03年4月27日の朝日新聞に「議員年金カット前駆け込み辞職」の記事が載った
それによれば本来の任期満了を待たずに駆け込み辞職した地方議員が各地にいるらしい
3月末に杉並区議会では3議員。和歌山県議会では4議員。27日に投開票の青森県森田村議会では現職12人のうち3議員。千葉県の流山市議会では5月5日の任期切れを待たずに1議員と枚挙に暇がない
在職12年以上の地方議員には退職年金が死亡するまで支給されるのだが、地方公務員等共済組合法が改正され4月以降に退職する議員は支給額が1割減らされることが原因のようだ
支給金額は在職年数や議員報酬などで決まるが、和歌山県議の場合で年間24万8千円〜30万7520円減る計算になるらしい
なるほど、馬鹿に出来ない金額だ。なにしろ死ぬまでもらえるのであるから。こんなに減らされては長生きする甲斐もなくなってしまうに違いない
今まで一生懸命に頑張ってきたのは何のためなんだ、と思ったとしても致し方ない
とにかくお金が楽しみなんだから、それを取りあえげるのは酷というものだ
自分のために苦労した人間を温かく見守ってあげるのがいい国民、市民というものだ、と無理やりに納得してみたものの
それにしても・・・なんて覚悟のない人たちなんだろうと思った次第

No.115 バクダッドが制圧された日
あっけなくと表現するしかない崩壊のシーンだ
そこには力が示されていた。武力と呼ぶべきか暴力と呼ぶべきか分からないが、アメリカという国の恐ろしいほどの力が
フセインからの解放を意味すると共に新しい抑圧をも意味していることに誰もが気づいている
独裁者の後に新たな独裁者はいらない、とある人は言った
憎しみの後の新たな憎しみも必要ない。望むのは自治と平和だ
憎しみの連鎖は決して武力と言う力では断つことができない。暴力を暴力で鎮めることはできない
それを分かっていても世界は力による支配に傾いている。一体何が出来るだろう
激しい力が去った後の混沌をしっかりと検証しよう。何が行われて、何が行われなかったのか。誰がまともで、誰がまともでなかったのか
日本は正しかったのか、正しくなかったのか。白黒で色分けできない問題だとしり込みするのではなく、時間をかけて検証しよう
古い暴力の国家が消え、新しい暴力の国家が誕生した日を忘れないためにも

No.114 あれが日本の首相なのか
酷いものである
この間の党首討論である。アメリカのイラク攻撃の宣告を受けて小泉さんが、素早く支持を表明したことから、自由党の小沢さんらが国会でアメリカの戦争に大儀ありや、なきやと質問したやつである。ごらんになっていない方は下のURLをクリックして見て欲しい。(あのくらいの素早さで改革とかも進めて欲しいものだ)
2002年3月19日国家基本政策委員会合同審査会(党首討論)
党首討論は前々から凡人による凡戦との風評あり、やめてしまえ!との指摘もあったわけだが、これほど酷くなってきたのはつい最近のことである
今回の論戦などは歴史に残る酷いものであった。何しろまともな受け答えができないのである、小泉さん
森さんに比べればまだマシだと思っていたのだが、イラク問題を見る限りは「どっちもどっち」と呼べるレベルであることを露呈してしまった。非常に寂しい
前から論理の飛躍があるとは思っていたものの、今回のはお粗末の一言。論理自体がない。日本語になっていない。意味が不明である。
質問をはぐらかすのではなく、質問の意味が分からないのではないか、との指摘もうなづくしかない。それほどに酷いものだった。あそこまでいくと「醜い」という感覚が生まれてくる
あんな人を上司に持って働く意欲が出るのだから、日本の代議士さんも偉い。直接の上司だとは思っていないだろうけど、頭を下げるお役人さんも偉い
私にはとても耐えられない。同じ言語を操っていながらコミュニケーションが取れないとは、なんて悲劇だ
あまりにみっともないから「もうこの人には何も喋らせないでください」、と心の中で神様にお願いしてしまった次第である

No.113 連合王国ってどこ?
2003年2月1日の朝刊の記事で「『外務省流』の国名ようやく世間並み」とある
それによれば外務省が外国の国名や地名をようやく一般的な呼び方に合わせることを決めたそうだ
呼び方の基準となっているのは52年に試行された「在外公館の名称・位置・給与法」なんだそうで、その改正案を今国会に提出することが正式に決まったようだ
改正により例えば「ジョルダン」を「ヨルダン」に、「ノールウェイ」を「ノルウェー」に、「連合王国」は「英国」に変更される。よかった、よかった。連合王国ではどこのことやらわからない。よかった、本当によかった
その他に変更になる国や都市の名前として新聞に記載されているものには、次のようなものがある
「ビィエトナム」、「東チモール」、「ニュー・ジーランド」「ニカラグァ」、「チェッコ」、「カタル」、「象牙海岸共和国」、「クアラ・ランプール」といったものから「プラーグ」、「ワルサー」、「サライェブォ」、「ヘーグ」、「テル・アビィブ」といったものまである
いやあ、まさによりどりみどりである。現地の発音や英語名をもとに決めていたとのことで、確かにこっちのほうが「それっぽい」という気がするものもあるが、何をもって「それっぽい」と判断するかは人それぞれ。難しいところだ
呼び慣れないこともあって、かなり発音しにくいものが多いのだが、外務省のお役人は発音に苦労しなかったのだろうか。不思議だ
それとも知能の高い方々はこの程度のことは苦も無くお出来になれるのだろうか。謎は深まるばかりである
あえてここには一般的な呼び方は載せていない。皆さんにご自由に推理してみてもらいたいと思ったからだ。さて、あなたはどの程度推理できますかな?

No.112 政治家の信頼度は2%
12月23日付けの朝日新聞の記事によれば、政治家を信用する人は2%との全国世論調査(面接)結果がでたそうだ
ある程度信用しているの13%と合わせても、わずか15%の人しか政治家を信用していないのだ。どうだ、驚いたか!
78年から続けている過去5回の調査でも最低で、なんと占いの20%よりも低い結果なのである。どうだ、これなら驚いたろ?
わたしゃ驚きましたぞ。なんと占いよりも信用がないとは。当たるも八卦当たらぬも八卦という、占いより信用がないのですぞ。なんとまあ立派な数字ではありませんか
まあ、あれじゃ誰だって政治家なんて信用したくなくなるよなあ・・・あれじゃ。と思って、ハタと困った。具体的にあれじゃ困るの、あれじゃを言おうと思って出てこないのである
占いなら、テレビの朝の占いは局によって言うことが違う、とか怪しい論拠を挙げることが出来るのだが、政治家の胡散臭さの論拠をうまく示せないのである
勿論、田中角栄がどうの、その娘がこうの、鈴木宗男がそうの、など怪しげな方々は枚挙に暇がないわけだが、それが政治家のいかがわしさそのものかと言われるとちょっと自信がない。いかがわしい政治家と政治家のいかがわしさは似ているようで違うのではないか、と思うのだ
何しろこの調査結果によれば医者は81%、警察で65%、教師ですら58%も信用されてるのだ
これらの職業の方々もいかがわしさでは政治家と遜色がないような気がするのだが、私の感覚が世間とずれているのだろうか
権力を持てば、いかがわしくなる。それが世の常だと思った次第である

No.111 人はなぜ酒を飲むか
20歳過ぎると人はお酒を飲むようになるわけである
別に中国3000年の歴史とかインド4000年の歴史みたいに古来の風習ではないはずだ。エジプトの時代にはビールが発明されていたとも聞くが、そのときに生きていたわけではないので確かなことは分からない
中世になってから貴重品として権力と結びつきごく一部の特権階級のみでビールの飲酒が許されていたと聞いたこともある。修道院でビールが造られているのはその名残だそうだが、このときにも生きていたわけではないので確かなことは分からない
確かなことは大学に入ると何故か20歳前なのだが、飲酒解禁となったということだ。もちろん大っぴらにではないが、友の下宿や校内や店舗で飲酒する輩が増えたので、かなり大っぴらに近い感じだった
酒が飲めることが嬉しいわけではないのだが、酒が飲めるのが大人の証のような気がしていたのである
どうだ、俺は大人なんだぞ。ついでに言えばここにいる、こいつも大人なんだぞ。もっと言えばそこにいる、そいつだって大人なんだ。わっはっはっは、てなもんだ
ああ、情けない
そのまま時を重ね、大人であることを強調するための酒を続けていたらロクでもない大人になってしまったところだが、幸か不幸か美味しい酒を知るようになってからは、楽しみとして飲むようになった
ああ、なんて素晴らしい
おかげで、頭はスカスカになるわ、腹はでるわ、手は震えるわ、呂律は回らなくなるわ、のていたらくである。よかった、よかった

No.110 9月の「最近の言葉」で考えた
「我々が努力したことを認めてほしい」なんてことは言わないほうが良い。そう言われて育った世代である、少なくともお偉い官僚さんたちの上に君臨するもっとお偉い官僚さんは。もっともそんなことを言っていたのでは偉くはなれないのかもしれない。はてさて、そうすると幼いときの教育は意味がないということか、お偉い学校に入る以外には
「米国は地球温暖化対策に真剣に取り組んでいる」なんてことは言いたくなかっただろうが、言わなくてはならないのが代理出席の辛いところだ。もっともこの程度で根を上げていたのでは、とても偉くはなれない。はてさて、国や言語や教育が違っても偉くなるために必要なことは同じってことか
「そのまま病気で死んでくれなどと、神の怒りを招きそうなことを思ったのは、あの男についてだけだ」なんて物騒なことをたとえ引退したとしても一国の大統領が言わないほうが良い。もっとも神の代わりに裁きを下すと思う大統領より数段マシかもしれないが
「サダム・フセインが偉大な民主主義者であるとは思わないし、別人がイラクの大統領であれば良かったのに、とも思う。しかし、世界を見渡せば、そんな指導者はほかにもたくさんいるではないか」。いやごもっとも、歴史を紐解いても、紐解かなくても一杯いそうである。もちろんあちらの国ではブッシュさんもその一人だろうが。あちらでもブッシュさんのことをこのように寛容に扱ってくれると嬉しいのだが、無理だろうなあ
「何を聞いても同じことしか言わない。自分たちのやっていることは完全で、従わないものは間違いという発想だ」。これ我が国もお話。決してアメリカの大統領のことではありませんぞ、お間違えのないように
「役所は官僚トップのほうが大事だと思っているのかな」。何を今さら、一年で居なくなる首相なんて誰が大切に思いますか。少しボケが出てきたのですか、しっかりしてくださいよ
「『男だったら』とは思わない。『女だから…』とも思わない」。小さい事を思い煩うようでは偉くなれないってことですね。いや、皮肉じゃありません。ただ私は無理だなあって思っただけ
「人民の忠僕になるためには、人民がトウモロコシ飯を食べるとき、ともにトウモロコシ飯を食べ、人民がかゆを食べれば、同様にかゆを食べるべきだ」。こちらの国ではかの地の英雄も独裁者と言われたりするが40年前はいいこと言ってたんですねえ。まさか、その通りの国になってしまうとは思わなかったでしょうが
「国の経済をだめにする政策は、高すぎる税金、よけいな通貨政策、そして規制だ。その典型が日本。このままでは銀行が不良債権を生み続けるだけだ」。もちろん我が国の住民もこんなことを言われる国になると思っていませんでしたがね
年月を経なければ分からないことがある、年月を越えてやっと分かることがある。そういうことかって思った次第

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