2003/3/19
『パラノイアに憑かれた人々〈上〉――ヒトラーの脳との対話』(ロナルド シーゲル、小林等訳/草思社)読了。
パラノイア(妄想症、偏執病)は妄想体系に冒される精神障害の病であるけれど、一般の予想と違って、あまりとっぴなもの、センス・オブ・ワンダーなものはないらしいと聞いていた。
その予想を裏切るのがこの本。
そして、普通の病気系ノンフィクションと違って読んでいてちっともつらくないのが、この本の特色だろう。
著者はUCLAの精神医学准教授で臨床医。ところが読んでいて「この患者を救わねば」という悲壮感とか「どうして治療が上手く行かないのか」という無力感とも無縁だ。
しかし、それはパラノイアのエッセンスを知りたい私にとっては願ったり叶ったり。猟奇殺人の捜査官のノンフィクションはツラかったもんね。
この本で取り上げるのは目次を見る限りでは11の症例。上巻ではそのうちの4つが紹介されている。
この妄想は秀逸である。
実際に精神を病んでいる人にとってはツラいだろうし、無責任な発言ではあるが、オリジナリティがあるという点においては頭ひとつ飛びぬけている。
例えば第1話「ヒトラーの脳との対話」。
オープニングが素晴らしい。著者は勤務するUCLAの掃除のおじさんから「UCLAの地下のどこかにヒトラーの脳みそがある」という話を聞くのだ!
掃除のおじさんは、職業柄、落ちている紙くずを拾わなくてはならない。そしてその人は拾った紙を丸めて捨てる代わりに伸ばして読むくせがある。
ほらほらほら、面白いでしょ?
アメリカはアインシュタインの脳を取りだし、ムッソリーニの脳を取り出した国だ。どこかにヒトラーの脳を隠し持っていても不思議ではない。
妄想症は、猜疑心から生まれるものだという。
その猜疑心を作品に昇華させるのが作家であり、クリエイターなのだろう。そして、その猜疑心を内部に昇華させてしまうのがパラノイア。だとしたら、ものを作る人とパラノイアの境は案外薄いのかもしれない。
上巻目次:
プロローグ 暗闇の中で蠢くもの/序章 パラノイアの悪魔/第1話 ヒトラーの脳との対話/第2話 個人監視用人工衛星/第3話 歯がささやきかける/第4話 鏡の中のバレリーナ
下巻目次:
第5話 虫の群れが襲ってくる/第6話 殺人生物群/第7話 チェス・プレイヤー/第8話 神になった男/第9話 十番目の災厄/第10話 小人退治/第11話 パラノイア急行/エピローグ ヘミングウェイの墓所にて