店主の読書日記 MAY2003 タイトルリスト 作家別リスト

2003/5/31

 どうして私がお掃除サウンドまで仕入れて、しゃかりきに片付けているかというと、部屋に立入り検査が入るからだ。建物の不具合を見てくれるありがたーい点検なので、お断りできない。
 しかも、目的が目的なので、日頃お客さんが立ち入らないようなところまで掃除をしなければいけない。
 なにしろ、部屋は荒れている。
 今月は忙しかった。月の真ん中は酷い風邪を引いていた。もう、荒れ放題である。
 金曜日に帰って来てから少しやったくらいでは当然終わらず、早起きしてまた片付け。
 そして、結論。

 私の部屋の片付けは、ほとんど洋服と本をどうにかすることにかかっている。

 もっぱら、その労力のほとんどを本の片付けにかけ、玄関チャイムがなった時には、まだ洗濯物が部屋にかかっているありさまであった……。(←前日から雨だった)
 結局、全体を見ると片付いてない部屋に建築士さんを通した。(とほほ)
 しかし、どうにか「荒れ果てた部屋」から「散らかった部屋」くらいにはなったので、そのイキオイを大切に、建築士さんが帰った後にやおら配水管の掃除を始めた私なのだった。


2003/5/30

 仕事帰りにBookOffへ。ダンスCDを買うためだ。
 クラブ・サウンドなんて全然ダメだ。あれじゃあ、ノれない。
 100円棚から、もう、ここでくらいしか拝めなくなったCDを取ってレジへ。
 家に帰って、食事も早々にコンポにCDを放りこむ。
「ジュリアナときおーーーーーーー!」
 おお。やはりこうじゃなくっちゃ。やっぱり、この、何となく焦燥感をそそる90年代ディスコ・サウンドでなくては!

 そうして、ガンガンにハウスやハイパー・テクノが流れる中、私は掃除にいそしんだのであった……。


2003/5/28

 妹待ちで2時間ほど時間があったので、近くのshampooに入る。
 カットは1800円、シャンプーとブローをつけると2800円。私は美容室でシャンプーをしてもらうのが好きなので、後の方を選ぶ。
 う、うわあ……。
 気持ちいいです、ここのシャンプー。カットは、まあ……値段に見合った感じなんだけど、シャンプーはいいぞう。
 ただし台を倒さない方式なんで、体勢に好き嫌いはあるかも。


2003/5/28

 『獣王星』(樹なつみ/ジェッツコミックス)完結。
 スタートから10年だそうで、私が「よし完結も間近そうだ」(2001年までには終了と書いてあったのだ)と読んだのが2000年だから、そこからでも3年。
 ……長かった(笑)。
 衝撃の事実はある意味4巻でわかっちゃうので、最終巻(5巻)は起承転結の結の部分を読んでいる感覚だ。SF的にはよくある設定なので、さしたる驚きはない。
 が、たぶん、それでも読まされてしまうのは、マンガの圧倒的な表現力だろう。魅力的なキャラクターが見開きでバーンと来た時の感動って、どんなセンス・オブ・ワンダーもかなわないパワーがあるもんね。(←少数のSF者は除こう)
 ところで、この作者って、異様に女にモテモテの男というのをよく描きますが、何かあるのでしょうか?(笑) 
 このマンガだとサード。『八雲立つ』だと主人公の実のオヤジ。『朱鷺色三角』『パッションパレード』だと零と霖のオヤジ。
 いずれも女を引きつける魔力があるタイプ。現実にはあんまりいないけど、こう毎作出るってことは少女マンガに便利というより、別の何かがあるとか?

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2003/5/27

 今月のどこかで読み終わってた『駅名で読む江戸・東京』(大石学/PHP新書)。
 東京のJR、私鉄、地下鉄の駅名を取り上げ、その由来や地域に関わる事件を紹介している。そういう内容だから、一駅ずつボチボチ読めるけれど、逆にガンガン行く本でもないので、ほぼ3週間くらいかかって読んでいたような(笑)。
 地名というのはすごく歴史を伝える言葉で、文献・史料なんかを当たってみると大昔の事件が地名として残っていたりして面白い。
 この本は駅名の由来だけでなく、その駅周辺の歴史などもきちんと説明しているので、東京にお住まいやお勤めの方には面白いんじゃないだろうか。たとえ途中下車したことはなくても、駅名というのは案外覚えているものだし。あの駅にこんな由来が、って飲み屋のお姉ちゃんに話したら感心されるかもしれないし……って、発想がオヤジ色だなあ。

 今回、この本で見なおしたのは戸越銀座。
 全国に溢れる○○銀座発祥の地として有名だが、ただ単に名前をあやかっただけでない。戸越銀座は大正12年の関東大震災で被害をうけた銀座のレンガを譲り受け、当時は水はけの悪かった戸越の大通りなどにに再利用していたという繋がりがあるのだ。
 いやあ、おみそれ致しました。
 私はてっきり、あやかり商法のなんだかB級映画のタイトルみたいな地名とばっかり思っていたよ。
 そんな風に、知っているはずのあの駅を見なおすきっかけになるかもしれない。選書はカタいイメージなので敬遠してる方も、これなら読みやすいんじゃないかな。

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2003/5/26

 前編だけ読んで放置プレイもなんなので、続けて読んだ『楽園の魔女たち――月と太陽のパラソル後編』(樹川さとみ/集英社コバルト文庫)。
 上から見ても横から見てもナナメから見てもどこからみても12才くらいにしか見えない人妻、マリアがメインの今回。
 彼女が魔女になるために"楽園"に行ったのは、結婚して4分で行方不明がわかった婚約者ジェイルを探すため。今回はいよいよそのジェイル様が登場するのかっ、といった回で、物語もいよいよ収束する気配を見せてくる。
 えーっと、これでシリーズ16冊目かなんかでしたっけ。やっぱりもうすぐ終わりかなあ。

 会社で、もっときっちり化粧をするように上司からいわれました。
「Y田さん(先輩)を専属美容部員につけるから」。
 と、いうわけで、会社に専属美容部員が会社にいるワタクシです。
 そのうちスタイリストもつくかもしれません。

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2003/5/25

 猫宮さんに声をかけてもらって、れおんさんと3人で横浜うかい亭へ。
 明治時代のオランダ商館を移築した建物を使用したレストランだそうで、駅から離れて建つ一軒家(というと、ちょっと違うが)レストランだ。
 シャチホコが乗った瓦屋根にアール・ヌーボーの扉。アンティークの大きなオルゴールの上に、木彫りの「両替」の額。……うーん、クロス・オーバー(笑)。
 いえ、私は好きですよ。富士屋ホテルの大きなお風呂屋さんみたいなたたずまいも好きですもの。  昔の日本人って、「外国人から見たちょっと間違った日本人の部屋」みたいなものを素直に作っちゃってって、そこいらが好き。
 最寄駅・町田なので、こういういのは教えてもらわないとわからなかったなあ。
 いっぱい喋り倒したし、最近ずーっと篭ってたのでいい気晴らしになりました。ありがとうござます♪>お二人

 で、思ったより町田が遠かったので(笑)、1/3をだらだらと2週間くらいかけて読んでいたのに2/3はイッキに読み終わった『楽園の魔女たち――月と太陽のパラソル前編』(樹川さとみ/集英社コバルト文庫)。
 コバルトではこのシリーズくらいしか読んでいないという素敵なコメディのシリーズ……なのに、話はシリアスは方向に……。

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2003/5/24

 そういえば、今月のどこかで読了しておりましたわ。『北村薫の本格ミステリ・ライブラリー』(北村薫編/角川文庫)。
 うーん、微妙。  どう微妙かというと、マニアックなその内容による。この本は北村薫が編者となったアンソロジーなのだ。
 だいたい日本って、あんまりアンソロジーって受けないんだよね。(私は好きだけど) 過去の創元とかハヤカワのミステリ・アンソロジーがかなりの数、絶版になっているもんね。
 北村薫はかなりなミステリ読みであるようで、今回、他の本に収録されていないもの、絶版などで現在読みにくいものということで作品を取り上げている。
 だから……その、他では読めないというところにはとっても価値があるのだろうが、他で読めないということは一般的な需要が低いということで……(笑)。
 いいかえればマニアック。
 私は元々が翻訳ミステリ読みなので、ここいらの作品に抵抗はないが、宮部みゆきや北村薫を読む普通の読者にはかなりツライ1冊なのではないだろうか。
 でも、「この作品を入れられるならやりましょう」といったきっかけの1作、クリスチアナ・ブラント「ジェイミー・クリケット事件(アメリカ版)」は確かに名作だった。
 いいミステリは犯人がわかってから再読すると違った楽しみがあるというが、読み終わって最初に戻ってみたら、かなりショッキングだった。こんな衝撃は久しぶりだ。
 この作品にはアメリカ版とイギリス版があって、北村薫はアメリカ版がいいという。
 私も賛成だ。
 確かにこの作品はアメリカ版がいい。

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 と、いうのは(いえるのは)、「イギリス版は創元文庫で読める」とあったから読んでみたのだ。
 『招かれざる客たちのビュッフェ』(クリスチアナ・ブランド、深町真理子他訳/創元推理文庫)。
 ブランドは結末を変えている。他にもう1ヶ所変えている。イギリス版の方が作者はいいと考えているらしい。確かにこちらの方が自然だ。ソフィースケーテッドされている。
 でも、2回目に読んだことを差し引いても、私はアメリカ版ほどの衝撃を感じないような気がする。
 これはもう好みだけれど、たぶんアメリカ版の方が陰惨な感じなんだろうな。そして、私はこの物語にはそのスタイルの方が合っていると考えるのだ。

 こいういう読み比べは面白いので、機会があれば、「ジェイミー・クリケット事件」だけでもどうぞ。
 短編なので、両方読んでも30分かからないだろうし。

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2003/5/23

 どうして私がそんなに余裕がないかというと、仕事が変わったから。
 と、いってもリストラでも、脱サラでもなく、会社が変わったわけでもなく、部署でさえも変わっていないのだけれど。
 4月末、朝、出社したら突然別室に呼ばれ、
「これからこれこれの仕事をしてください」
と、いわれた。
 担当替えとか異動なんていうのはよくあることなので、別に今さら驚かないが、今回は今ある仕事にさらに倍率ドン……なんてこともどうでもいいのだが、即日有効の変更だ。
「君は明日から網走支店に行ってもらう」
と、宣言されたサラリーマンの気持ちがちょっとわかりました。(網走支店とかいうと、左遷されたみたいだな)
 しかも、
「午後2時から席を変わってください」
というご指示。(2時まで片付けだけすればよいというわけでなく、普通に日常業務はある)
 変わる予定の席は前の方が既に席をきれいにしていて、何もない。パソコンもない。椅子さえない。
 つまり、書類だけでなく、すべての電子機器も移動。今使っているパソコン(デスクトップ1台、ノート1台)を自力でバラし、持って行き、再接続も自分でやれということだ。
 まさに、
「網走支店に行く時は、必要な機材は自力で持って行って下さい。会社の軽トラで」
状態。
 ……やりましたともさ。
 ちなみに、ノートの方のLANは特殊な契約で、変更後の席にアウトラインが出ていなかった。別の会社の人を呼んでやってもらうのだけれど、それは20日後になるらしい。それまで別のシマの端っこにある端末を見させてもらわないと仕事にならない。しかも、その席には椅子がなかったので、中腰空気椅子で作業。
 網走支店には電話がなく、用があるときには隣の家(←北海道の隣の家)まで走っていって借りる感覚であーる。しかも、その電話は手回し式だった、みたいな。

 社会人って色々大変なのだ。


2003/5/22

 そういや最近、ちっとも読了本の感想を書いてない。
 だって、読破した本がないんだもん。ワイドショーの収納カリスマのようにないスキマも見つけて読んでいるこのワタクシが。
 でも、このままじゃ読書日記の看板に大偽りアリ、JAROってなんじゃろが検挙に来るといけないので、まだ読み終わってないもののことでも書こうか。

 現在読んでいるのは久住昌之と加藤総夫の共著の『脳天記』(扶桑社)という本。
 脳みそについて簡単でわかりやすい入門書はないかなあ、と、図書館で探したのがコレ。題名からして「能天気」のダシャレであって、内容は推して知るべしだ!
 お二人はバンド仲間だそうで、本の内容は一般人のクスミくんと研究職のカトウくんの、バンドが終わった後の飲み屋での会話のよう。
 でも、一般人の知識欲ってその程度なんだよね。
 へんてこな言葉(海馬体とか)の羅列じゃなくて、普通の簡単な言葉であれば科学の話も聞きたいという人はたくさんいるはずだ。(私もその1人だ)
 で、色々な脳の話が出てくるわけだけど、脳の情報伝達の部分が面白い。
 脳の情報伝達のしくみというのは人間も他の動物もそう変わりはなくて、研究者はイカを使って実験をするそうだ。なんでもイカの脳の伝達組織が大きくて実験がラクなためらしい。だから、脳の研究者にとってはイカは恩人。スルメを食べるなんてとんでもない。イカさまさまだ。(イカに「様」をつけるとうさんくさくなってしまうけどさ)
 イカを研究してわかった脳の構造というのは、例えていえばタタミイワシみたいなもので、一匹一匹の小さなイワシが集まって脳という大きなひとつの臓器になっている。この小さなイワシの一匹がニューロンというもの。そして、一匹一匹を繋いでいるのが伝達物質で(←イメージ)、これには種類がいくつかあるんだけどそのひとつはグルタミン酸だったりするそうなんですね。
 グルタミン酸といえば味の素だよ!
 うま味調味料だよ!
 一説によるとカニやエビがウマイのは、伝達物質のグルタミン酸をたくさんもってるかららしい。じゃあ、味の素にひたしてある(ようなものの)脳みそって、食ったらウマイんじゃないだろうか、という疑問がわきおこるのは自然な成り行き。

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 「脳」、「食う」と来たら、もうこれは『ハンニバル』の世界だ。
 さて、新潮社から出ている『ハンニバルのすべて』(新潮社行動科学課編/新潮社)という本。
 これは、新潮社がその総力をあげて作ったセルフパロディ同人誌みたいな本だ。
 「イタリア語版翻訳者に聞く『ハンニバル』のリアリティ」なんていうのはともかく、舞台がフィレンツェというだけで「塩野七生特別インタビュー」を持って来たあたり、出版社の力とコネクションをフルに生かしきったムックといってもいいだろう。
 この本で、例のディナーについて、かなりページをさいている。
 「『最後の晩餐』を再現!」のコーナーでは、小説『ハンニバル』の記述を元に、新潮社が総力を上げて、実際の人間の脳みそを使ってメインディッシュを再現……したはずはもちろんなく、子牛の脳を使って再現している。
 そういや、フランス料理に子牛の脳みそ料理ってあったよな。フランスだけでなく、素材として脳みそを使う料理は他にもあるし、脳みその味というのはそれなりに認められた素材なワケだ。これはやっぱり、ある程度ウマイのだろう。
 ついでに映画で見た脳みその生け造りの実現性についても記載があった。
 現在、脳外科の手術というのは部分麻酔をかけて患者の意識がある状態で施術(!)していくオペというのもあるそうなので、生け造りも部分によっては可能らしい。

 さあ、科学の粋をこらして(ホントか)脳みその生け造りがOKで、ある程度ウマイことは証明したぞ。勇気ある人は試してみてくれ。私は一切責任は負わないが。

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2003/5/21

 蒼猿、切られちゃいましたね。(十二国の)
 原作ではあれほど憎らしかった蒼猿ですが、アニメでは芸達者だったせいか、結構応援してました。あのまま陽子をダークサイドに引きずり込めば面白かったのに。(←無理です)
 さて、週末はほとんど寝ていた私ですが、起きているわずかな時間で見ました、『トゥルーマン・ショー』。
 以下、ネタバレな感想になりますので、ご承知の上、ご覧ください。

トゥルーマン・ショー  このドラマは『陰謀のセオリー』と似た構造を持っている。
 それは、まわりに騙されている無辜な主人公という図式だ。
 こういう物語達は全国のパラノイアのテキストとなったりすることはないのかなー、なんて余計なことを考えてしまうワタクシ。少しパラノイア寄りの思考になっているんだろうか?(笑)
 だから、諸手をあげて「素晴らしい」「感動した」とやれないのも、新しい洋服を着せた古い物語になっているせいなのだと思う。
 クリストフとトゥルーマンの関係なんて、こうと信じた素晴らしい世界を与えてるつもりの親(しかも子供は自分のものだと思っている親)と子供の関係そのままで、子供が「きれいな作り物より真実が欲しいんだよ!」と飛び出していく姿も新しくはない。
 ただ、この映画がありがちのドラマから一歩飛び出しているのは、素直に見えて案外底意地が悪いところだ。
 めぐり合う恋人同士のハッピーエンドも見せないし、トゥルーマンと新しい世界の出会いも見せない。
 クリストフを冷たい演出家風に演出しておきながら、「こうすればみんなハッピーさ」という、わかりやすいポリシーを持つタイプにしたのも意地が悪いんじゃないかなあ。結局、観客なんて自分が面白きゃかまわないのさ、みたいな描き方も含めてね。

蒼猿


2003/5/20

 ああ、会社を二日も休んでいる場合じゃないんだよ、こんちくしょうっ。(寝込んでいたせいで、すべての予定が後倒しに……)
 ところで、どうしてもやることがあって午後から出てったら、
「健康管理室に行って来い」
と、すすめられ、久しぶりに行きました。名前は怪しげですが、医者がいて、薬をくれる部屋です。
 新たに薬を処方され、前から飲んでいるものと合わせると7種類に!

 こんな時、思い出すのは『動物のお医者さん』です。
 風邪を引いたヒヨちゃん(ペットのニワトリ)のために、ハムテルが漆原教授に抗生物質をもらいに行くシーン。
「ウィルスだったら効かんし、抗生物質を与えたら食えんぞ」
と、言われるんですね。
 風邪を引いたり怪我をしたりするたびにバリバリ抗生物質を処方されてるのに、毎回、「ああ、私の肉はもう食えない……」と思うのです。
 まあ、食ったとしても雑食だからマズイと思うんですけどさあ。
 そういや、猟奇殺人者で食肉のヒトもいますが、ああいうのって体に悪くないんでしょうかね。(そんなことを気にしてたら食わんと思うが)


2003/5/19

 ちょっとパッタリ行ってました。
 やっぱり、あんまりギリギリのところを基本にしてちゃいかんのだなー、と、反省したりして。もうちょっと時間的に余裕のある毎日を送りたいです。


2003/5/13

 ここ1週間、仕事……はその日のうちに終わっていたのだけれど、個人的にやることがあって、就寝時間が3時〜4時くらいになっていた。
 夜中にひとりで起きていると、ちょっとした物音に「びくぅ」とするんですね。
 私を驚かせる物音は、明るくはっきりとした「カァ」。
 ……うーむ、都会のカラスは年中無休、24時間営業であったか。
 鳥は鳥目だから夜中は活動しないという大方の予想を裏切って聞こえる鳴き声に(しかも、すぐそばで聞こえる)、「えっ、もう朝か!」と驚いて時計を見るとまだ夜中の3時だったりして、心臓が止まりそうになります。(←やや大げさ)
 そうか、未明に年寄りが死ぬのは、都会のカラスのせいか。
 と、変なことを考える真夜中のワタクシ。


2003/5/11

髑髏城の七人  友達より新感線のビデオをザクザク送ってもらったので(【類】ドムドム送る。アッガイアッガイ送る)、少しずつ消化。
 まずは、一番のオススメの『髑髏城の七人』から。

 時に天正十八年。織田信長が本能寺の変に倒れ、すでに八年。
 豊臣秀吉による天下統一は目前であった。唯一、関東荒野を除いては。
 この無頼の地に、一大武装集団が現われた。その名を関東髑髏党。天魔王と名乗る仮面の魔人を頭目に、髑髏城と呼ばれる城をアジトにする彼らは、天下統一を狙う秀吉にとって最後にして最大の敵であった。
 さて、髑髏党から追われる一人の女、名を沙霧(芳元美代子)。ひょんなことから彼女を助けた玉ころがしの捨之介(古田新太)。
 捨之介は沙霧を髑髏党から隠すために、関東一の色里、無界の里に放り込む。里を仕切る無界屋蘭兵衛(粟根まこと)が捨之介と古いなじみだったのだ。
 が、無界の里にも髑髏党の魔の手は伸びる。武力による支配を嫌い里を守ろうとする遊女、極楽太夫(高田聖子)。自称その用人棒、抜かずの兵庫(橋本じゅん)。謎の刀鍛冶、雁鉄斎(逆木圭一郎)。捨之介と沙霧とともに彼等は髑髏党に立ち向かう。
 そのころついに秀吉は、十万の軍勢を率いて関東軍に攻めのぼらんとしていた。
 風雲急を告げる関東荒野!血の雨降るか髑髏城!!善悪愛憎入り乱れて、奇しき縁に結ばれた七人の闘いが今始まる!!

 あらすじは、ビデオのあらすじより。(一部変更しました)
 奇想天外な新感線風歴史ゴシックロマンといった感じ。チャンバラもお笑いもたっぷりなのは相変わらず。
 演劇のビデオやテレビ放映って、私はかなり飽きるタチなんだけれど、気持ちよく最後まで見てしまった。
 設定が相当に危ういのに説得力があって見せるのは、やっぱり役者さんとアクションのせいだろう。
 この物語を楽しんで観ている演劇ファンを見ると、細かいツッコミをするミステリファン(私か?)とかSFファン(これも、私か?)って心が狭いなー、と思う(笑)。


2003/5/10

ナインス・ゲート  先週、録画しておいた『ナインス・ゲート』を見る。
 なにを隠そう、原作の『ナインス・ゲート』(ペレス・レベルテ/集英社文庫)は、去年文庫を買っておきながら、全然読んでいない。
 同じ作者で読了した『
フランドルの呪画』が難しかったので、ちょっと敬遠してるのだ。(なら、なぜ買った>自分)
 なにしろ原作はブ厚い。567Pもある。しかも、『フランドルの呪画』の読後感から想像するに、相当ペダンチックで難解だろう。はっきりいって、『フランドル…』も読了するのは、かなりツラかった。(キミはボクの知識と教養についてこれるかな、ベイべッ、つー感じなんだもの)
 と、いうわけで、少しでも読解の助けとするために、日曜洋画劇場を録画してみました……。

 ハードカバーの時は『呪のデュマ倶楽部』というタイトルだったらしい。らしいのだが、映画にはアレクサンドル・デュマも三銃士も1ミリも出てきやしない。
 たぶん、ブ厚くペダンチックすぎる内容を、アッサリ大衆受けする脚本に変えてしまったのだろう。
 ついでに、やたらオカルティックな映画になっている。これも、大衆ウケするためだろうなあ。(わかるけどね)
 でも、トレドの中庭のある双子のおじいさんのやってる古書店は好み。
 ちょっとホコリっぽそうなんだけど、味があるよね。ああいうのを絵でばーんと見せられるのが映画のいいところだろうな。


2003/5/9

 つうことで、夏目雅子の写真集を買ってしまいました(笑)。
 これは没後11年目に出た写真集。
 人気の高さがうかがえる奥付です。

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2003/5/7

 日記に書くのを忘れてましたが、先週のどっかで『街の灯』(北村薫/文藝春秋)を読了してました。

 物語の舞台は昭和7年。まだ華族やお公家の上流階級が華やかに存在した時代。主人公は家は氏族出身だが、軽井沢に別荘があって、学校への送り迎えがお車というお嬢さま。
 引退する運転手のかわりに「別宮(べつく)」という女性が"わたし"の運転手になるが、……という、お話。
 主人公"わたし"は、この女を『虚栄の市』の主人公にちなんで"ベッキーさん"と呼ぶ。この時代、女が運転するだけでも大騒ぎなのに、剣術の心得はあるわ、射撃の腕前はピカイチだわ、ベッキーさんには色々謎がありそうだ。新シリーズらしいので、この謎もおいおい明らかになっていくのだろう。  さて、読む前には私はベッキーさんがホームズとなるのだと思っていた。
 円紫師匠と私のシリーズのように、"わたし"はワトソンであって読者とホームズを繋ぐのだろうと。ところが今回はホームズは主人公。何不自由ないお嬢さまが、ベッキーさんの何気なさそうな言葉で真実にたどりついていく。
 昭和7年という時代の上流社会のお嬢さまの世界と私達(読者)を繋ぐのが、ベッキーさんという人らしい。
 時代考証もしっかりしてあるので、今はもう失われた東京を物語の中で楽しむこともできる作品。

 ところで、読んでいて「チャップリンが来日した翌日に首相が暗殺されるという出来事があった」というくだりがあった。
「夏目雅子だ!」
と、私は思った。
 いや、そういうドラマがあったのよ。
 今でも美人女優というと夏目雅子を思い浮かべるワタクシ。夏目雅子は当時の人気女優で、チャップリン暗殺計画を知ってしまった主人公(根津甚八)に巻き込まれながら計画を中止させるために奔走する役どころだった。気の強い美人女優役がハマっていてね〜。
 ネットで検索したら(こういう時、便利だよな。ネットって)、『5.15.事件秘話 チャップリン暗殺計画――世界の喜劇王を救ったのは誰か!?』というタイトルだった。
 今、考えても面白いと思うけど、TVの2時間ドラマだからビデオになってたりはしないだろう。
 ああ、もう1回観たいなあ。

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2003/5/6

 未完成人さんが上京したので、飲み会に行った。……かなり遅れて。
 うう、連休の休み明けってものすごく忙しいんすよ。未完さん、みなさん、どうもすみません。久しぶりにお目にかかれて嬉しゅうございました。


2003/5/5

 チャコットのWebマガジンを読んでいたら、用語解説の中に「八百屋」があった。
 手前が低くて奥の方が高い、傾斜した舞台を『八百屋舞台』という。略して「やおや」。
 今は八百屋さんも少なくなったのでピンとこないかもしれないが、昔の八百屋さんは、そういう台に野菜を並べて売っていたんですね。(今でも「サザエさん」の町の八百屋さんはこのスタイルかも)
 奥行き感が出たり客席から見やすかったりするので、お客さまとってはいいと思うが、傾斜してるので演じる方は足腰に負担がかかって大変らしい。
 八百屋をよく使っている劇団・新感線なんかは、役者さんの足元を見ると足首までがっちりサポートするスニーカー。楽屋落ちのセリフに「トシで『八百屋』もツラくてツラくて……」なあんて言っているところから見ると、やっぱりしんどいんだろう。
 しかし、チャコットのWebマガジン内にあるということは、バレエの舞台でも使うってことだよな。おう!(←ちょっと外人風のリアクションをしてみました)
 バレエといえばバランス命。それで八百屋で大丈夫なのか!? と、思うけど、傾いた舞台だと手前に重心が行って、前のめりで上手く回れるという噂もあるとか。


2003/5/4

ロック・スター   『ロック・スター』を見る。
 うーん、これが楽しく見られるかは、どれだけ80年代にメタルな日々を送っていたかによるような(笑)。
 ボン・ジョヴィ、デフ・レパード、モトリー・クルーなどの曲が挿入されるわ、「ラットに客を取られちまう」なんてセリフは出てくるわ、ミュージシャン多数出演だわ、ノリは『ロッキン・オン』の別冊パロディといってもいいでしょう。タイトル・ロールを読んでどれだけ楽しめるか=この映画を楽しめる度数、で間違ってないかも。
 ストーリーは単純で、序盤はメタル・サクセスストーリー、後半は人間ドラマへって感じ。主役を演じたマーク・ウォルバーグ(元ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック)がメタル顔でなくて(←それって何)、「こいつはいずれメタルをやめるね」と、見るからにわかってしまうのだ。(私だけか?)
 しかし、この単純さと上映時間が100分強というサイズは好きだなあ。
 前に見た『あの頃ペニー・レインと』と違うのは年代だけじゃなくて、ドラマに対する姿勢だろう。だから映画的評価は絶対『あの頃…』が高いはずだが、『ロック・スター』の方が見ていて格段にラク。
 ジョージ・クルーニーってプロデューサーとしてどうよ、と、思ってたけど、この作品にお金を出すなら好きだなあ(笑)。


2003/5/3

 じゃあ、もうひとつ演劇もののマンガを……と思ったら、最初に思いついたのが『アクター』だった(笑)。
 次に思いついたのが、『P.A.(プライベート・アクトレス)』(赤石路代/小学館文庫)。
 これは厳密にいうとバックステージものでないような(笑)。
 この人は絵はあまり上手くありません。デッサン狂いが許せないタイプの人はまず読めないでしょう。おほほほほ。
 でも、設定とか面白いんだよねえ。1話完結の連載スタイルが多いこともあって(掲載誌の都合かも)、強烈なギミックを作っていることが多い。
 『P.A.』では、まず主人公にプライベートアクトレスという仕事を与える。必要な人に必要な役を個人的に演じる職業だ。
 主人公・志穂は卓越した演技力で、死期の迫った男の娘役を演じたり、わがまま天才子役の生き別れの母を演じたりする。
 この職業を主人公に与えただけで、ある程度、ドラマになるのは決まったようなものだ。お金を出してP.A.が必要な人というのは、それだけ何かワケありなわけで、そこには必ず悲喜こもごもの人間ドラマが生まれるからだ。
 つうとで、1回全巻まとめて売ってしまった私ですが、文庫でもう一度読んでます。
 昔、榎本加奈子主演でドラマ化されたので、ご存知の方も多いかも。

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2003/5/2

 再読したら面白かった『ライジング!――開幕』(氷室冴子、藤田和子/小学館文庫)。
 原作が氷室冴子で、マンガが藤田和子と、かなり強力な組み合わせ。
 何も知らずに宮苑音楽学校に入り、舞台で演じることに魅せられていく主人公・祐紀の物語で、宝塚が舞台で宝塚ファンでない読者が対象のバックステージものというのは珍しいのではないだろうか。
 面白いのが劇中劇。
 『ガラスの仮面』は、マヤがどう演じるかに焦点があったが、この作品の劇中劇は、ストーリー的にかなり面白い。
 祐紀のデビュー作である『レディ・アンをさがして』なんて泣くもんね。
 この劇中劇は好評で、この話だけで文庫が出たり……確か、どこかで舞台化されていたと思う。マンガの劇中劇が実際に舞台に乗るって、事実は小説より奇なり……?

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2003/5/1

 『花の紅天狗』を見るためではないけど、最近、『ガラスの仮面』を読んでいた。
 いやあ、文庫版で買っても22巻ですよ。読みでがあるある。
 しかし、今回で何回目かの再読かわからないくらい読んでいるこの作品、それだけ、ドラマとして面白いんだろうなあ、やっぱり。

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