2003/9/21
昼ご飯を食べる時にケーブルTVをつけたら、やっていたのが『めぐり逢い』(1994年、アメリカ)。
ウォーレン・ビーティとアネット・ベニング夫妻によるリメイク版のやつだ。
私は元になった1957年の『めぐり逢い(原題"An Affair of Remember")』が大好きで、それも実は1939年の『邂逅(原題"An Affair")』のリメイクだそうだ。
大西洋横断の豪華客船に乗っている男と女。
男は国際的プレイボーイ、ニッキー。NYにいる大富豪の婚約者に会うために乗っている。女は忙しい恋人にすすめられての休暇で乗船したテリー。
二人はお互いに恋人がある身でありながら、恋に落ちる。
NY港にしずしずと船が入っていく。ニッキーが言う。
「僕は今まで自分で金をかせいだことのない男だ。でも、君がよければ一緒になりたい」
半年後に、エンパイヤ・ステートビルの展望台での再会を約束して二人は別れる。お互いに自分の生活を整理するために。
そして半年後、エンパイヤ・ステートビルに急ぐテリーがいる。久しぶりに会える最愛の人への思いに胸ははちきれそう。タクシーを降りて、道をわたる。何かが何かにぶつかる重たい音。人々の叫び声。
展望台で一人立ち尽くすニッキー。夜がふけてもテリーは来ない。苦い表情でエレベーターを降りる。
半年後、コンサート会場の客席で、ニッキーは懐かしいテリーに再会する。横に座るのは元恋人。ニッキーは思う。あの日、エンパイヤ・ステートビルに来なかったのは、恋人とよりを戻したからだと。
ニッキーの後姿を見送った男がいう。僕達も帰ろう、と。彼が、テリーの席に運んできたのは車椅子だった……。
すみません、何も見ずに書いてます。
だから細部は違うかも。1957年バージョンのストーリーはこんな感じ。書いてるだけで、ちょっと泣きそう(笑)。
『めぐり逢い』という映画はずいぶん愛されているらしく、リメイクではなくモチーフに使った映画もあった。メグ・ライアン主演の『めぐり逢えたら(原題"Sleepless In Seattle")』が、それだ。
この映画の中で、メグ・ライアンが女友達と『めぐり逢い』のビデオを見てだーだー泣いているシーンがある。トム・ハンクス扮するサムが『めぐり逢い』のストーリーを説明されるシーンでは、説明する女性がストーリーを話しながら泣く。
この人の気持ち、すっごいわかるよ!(笑)
1957年版のヒロインはデボラ・カーだった。1994年版はアネット・ベニング。りんとして潔いテリーという女性にぴったりの知的な美しさがある。物語の中でキーとなるニッキーの祖母役は、1994年版では、キャサリン・ヘップバーンが演じている。1957年版の祖母は南仏のヴィル・ブランシェという風光明媚な町の花の庭の館に住んでいたけれど、ヘップバーンの祖母は野性味のあるフィジーのコロニアル調のお屋敷だ。花だらけの庭も捨てがたいが、この映画の設定はヘップバーンのきりりとしたイメージに合っていたと思う。
しかし、やっぱり私は1957年版が好きだ。
ひとつには、太平洋横断客船で出会う男と女という設定が、今の時代だと無理があるのだろう。ビーティも無理だと思ったらしく現代風にストーリーを変えているが、イマイチだ。(1957年版は、前半はともかく後半は本当に無駄がない脚本だぞ) あとは、主役の一人、ニッキー役のビーティ自身が、イマイチ。1957年版のケーリー・グラントを知らなければいいのだけど。どうも、グラントを見てしまうと、点が辛くなってしまうなあ。グラントは『めぐり逢い』当時、53歳。若い! 壮年のおあにいさんにしか見えない。しかも、職業、プレイボーイという設定がするりと納得できてしまう粋さ。
このメロドラマの名作を90年代に蘇らせるなら、『めぐり逢えたら』の方が賢いやり方なのかもしれない。
「めぐり逢い」 1994年アメリカ(108分)
監督:グレン・ゴードン・キャロン、脚本:ウォーレン・ビーティ、音楽:エンニオ・モリコーネ
CAST:ウォーレン・ビーティ、アネット・ベニング、キャサリン・ヘプバーン、ピーアーズ・ブロスナン、ケイト・キャプショー